走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「正しいこと」はあるとしても「正しい人」はいない

 宮崎駿が、題名のような事*1を言っていた。人は「正しいこと」をした瞬間は「正しい人」であるが、その後も「正しい人」であり続けられるかは何の保証もない。そのあと、間違ったことや愚かなことをするかも知れないからとも。蒙を啓かれた思いである、オレが過去を悔やむのも「正しい人」であろうとして自分を責めすぎたからかも知れんし。また、宮崎駿は「正しいこと」をした人がその後くだらないことをしたからと言って「正しいこと」までくだらないと言うのはやめようとか「正しい国」「正しい党派」があると考えるのもやめようとも言っていた。なんでこんな話をするのかと言うと、ツイッターなどネットの修羅道を、そしてこれからの社会でどう生き抜くかの示唆ではないかと思ってね。ネット民には「正しい人」であろうとして、せっかく自分の掲げている*2事までねじ曲げてしまってるのもいますし……。オレもそう言うところがあったので、分かるんだよ……。

 そしてオレは、こんなツイートをした。

 「純粋まっすぐ君こわ~い!」がまん延してからと言うもの、自分が何者でもない透明人間である事を誇るバカや露悪主義者や冷笑家が増えた挙げ句が、今日の乱脈を招いたのだ! トホホ。「自分が何者でもない透明人間」であろうとするより、最初に述べた宮崎駿の言葉を噛みしめて生きるくらいがちょうどいいのではと……。

*1:これは人は「正義そのもの」にはなれないから、せめて「正義の味方」であろうと言う川内康範イズムにも近い気はする。

*2:あるいはやろうとしている。