「私がエッセイ漫画を描かなくなった理由」(1/2)
— 大場玲耶@レトマジ単行本1/10発売決定 (@ohba08) 2019年11月23日
コミティア(出張編集部)にまつわる話です。 pic.twitter.com/tqpzzdkMBx
(2/2) pic.twitter.com/BGRrIpGwoB
— 大場玲耶@レトマジ単行本1/10発売決定 (@ohba08) 2019年11月23日
この編集さん「本当にあった嫁姑なんとか」「実録泥沼不倫ほにゃらら」みたいな雑誌ばっかり渡り歩いてきたんだろうか
— 結維 (@dragoonyouie) 2019年11月24日
……マンガ編集者の頭のネジが外れると、酷い事になるんだな。そしてこれはオレ自身にも他人事ではない。オレが『精神障がいエッセイマンガ』を描いている時、この腐れ編集者同様「人は*1自分より不幸な者を見て、喜びたがっている」みたいに考えてないかと。そのあと、「だから、オレを笑ってくれ」となるのがマンガを描く側と編集者の差かも知れないけど。オレがエッセイマンガで第三者を描く時のある種の忸怩たる思いは、「人の不幸」を笑い物にしてないかと言う抵抗もあるのかも知れない。『石に泳ぐ魚』裁判とかも、意識してるけどさあ。
と、書いて放置していたら、人気エッセイマンガ『中国嫁日記』の井上純一氏が次のツイートを。
全く違う。売れてるエッセイ漫画を見ろ。「ダーリンは外国人」「うちの三姉妹」「毎日かあさん」「大家さんと僕」 幸せな日常を面白く(ここが難しいのだけど)描く漫画がベストセラーなの一目瞭然だろうがクソ編集 https://t.co/6QB3xlNq5Y
— 井上純一(希有馬) (@KEUMAYA) 2019年11月25日
これはその後スレッドになってますが、略します。しかしこれを見ると、オレの『精神障がいエッセイマンガ』は、まだまだ自分の不幸の切り売りでしかない気がしてきた。サブカルビジネスセンターに通うようになってからの幸福を描けばいいのかも知れんが、幸福を客観視するのは結構難しい。いや、「Adobeのイラストレーターを覚えた」とかいろいろネタはあるんだから、泣き言を言うな。あまり客観視と称してなんでもかんでも相対化しようとすると、中島らも言うところの「誰か笑わせて」になるが、今それを心配しても仕方あるまい。
*1:件の編集者は「女は」と言っていたが、こういうのは男女関係ない気がする。