走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

誰が刑事ヨロシクだって?

 ……誰もそんな事言ってないわよ。と、自分にツッコミを入れたところで、今回の記事のスタートだ。最近、本田透の言った「萌える男」「萌えない男」について考えたりする。本田は後者について、「なんでもかんでも現実で果たそうとするから、性犯罪に走ったりする」と言っていた。性犯罪は論外だが、現実の問題を現実的に解決しようと言うのは、悪い事でない気がしてね。それがオレを、表現規制問題に首を突っ込ませた一因だし。本田の考えも、「競争としての恋愛から降りる」とでも言う点は、ひとつの選択だとは言えるけどさ。

 それに、「萌える男」とされる連中が、最近ミソジニーこじらせてる傾向にあるのがなんとも。反対にミサンドリーこじらせている女性がツイッターで吠えているのも怖いけど、そこまで話を今は広げられない。前述の「競争としての恋愛から降りる」と言うのは、「相手を一個の人格ある人間とみなせず、誰が仕切ってるか分からない競争を勝ち抜いた際のトロフィーとしか見れなくなる」のならやめとけとオレは解釈したのだが、本田透ミソジニーを煽るような事も言っていたからなあ。今の「萌えオタ」とされる者たちが、彼をリスペクトしているわけではないけど、ヤハリ。オレも「萌えオタ」に属する男だから、二次元を心おきなく楽しみたい。しかしその過程で、ミソジニーに至ってはいかんのではないか? とも思うのだ。マー、本田の言う「萌える男」とか「萌えオタ」よりも、「萌えない男」に属する男衆のミソジニーの方がより深刻であろうが……。最初に述べたように「なんでもかんでも現実で果たそうとする」から、ミソジニーが現実の女性に向きやすくなるし。「萌えようが萌えまいが、ミソジニーをこじらせちゃいかんわい!」と、自分にツッコミ入れたくなって来たな。

 なんでこんな話を延々しているのかと言うと、ツイッターミサンドリーこじらせている女性や「左派」が、「萌えオタ」を諸悪の根源みたく言い募っているのが気になると言うか、正直耐えられなくなっているからだ。「萌えオタ」が無謬であるはずもないから、修正出来るところはする方がいいとも思うが。ただねえ……。現実の女性を苦しめる男性って、圧倒的に「萌えない男」が多いよ。「萌える男」も苦しめるけど。サイレントマジョリティの「萌えない男」よりネットで目立つ「萌える男」(あるいは「萌えオタ」)が攻撃されているような現状も、「萌える男」の側のミソジニーもいやですよわたしゃ。