走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

人に愛されたいとか思っちゃいけないのかな?

 最近、このブログでさんざん「人恋しい」とぼやいていたが、ここにきてオレは人に愛されたいとか思っちゃいけないのかな? と言う疑問が出た。人に愛されるだけの事をしてるかと自問したら、ねえ。マー、愛されるには愛されるだけの事を「必ず」しなければならないと言うのも、悪しき新自由主義的な発想ではあるが。この辺に明確な答えはないだろう、あったら誰も苦労はしない。しかしながらオレは、愛されるどころか、人に触れる事すら罪なのではないかと言う自責の念が出る時が。それもツイッターにおける極論を、さんざん見てきたせいかも知れないけど。あそこの論理は人同士がバラバラになりすぎるか、旧態依然とした共同体に縛り付けるかだ! あるいは、ミサンドリーミソジニーのぶつかり合い……、もうやだ。

 それはさておき、急に愛されたいとか人恋しいとか思うようになったのは、ここ数年来のうつ状態が小康状態になって来たのか。数年前は「誰とも関わりあいにならないように、死にたい」と考える事しきりだった*1のに。これも何度か言ったかも知れないが、今の世の中ひとりで楽しめる娯楽はあふれている。しかしオレは、それらの多くを楽しめないのだ! 正直、アニメを漁る気力もないし、本だって絵の教本くらいしか頭に入りにくくなっているし、ゲームをやっているうちに死にたくなったりもしたし! また、人を愛すると言う行為自体、どう言うものか分かってないところもある。しかしこの胸を吹き抜ける、寂しさを連れて来る風はなんなんだ。それを聞ける相手もいない、嗚呼。

 やっぱり31年前、親父が「2、3日うちに、死ぬけんの」と言った時に、素直に死んでいればよかったのか? いや、こう言う心中の場合、親父だけ生き残る可能性もある。そしたら死に損だ! あの時死ななくてよかったんですよ。と言うか、だ。なんでオレが、親父の亡霊にいまだに悩まされなきゃならんのよ!? もう限界だわ、ひとりで悩むのは! しかし相談相手がおらん、数少ない友人知人は都合が合わんし、医者も薬を処方するしかないし。

*1:矛盾しているようだが、今でも思わなくはない。