走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

画力のインフレ

 ちょっと長いけど、下記ツイート群を見てもらいたい。

 題名を「画力のインフレ」としたけど、引用したツイートでは「情報量のインフレ」となってるな。そっちの方がいいかも知れない。いずれにせよ、描く者に要求される力は上がっているんだけど。その辺をサブカルビジネスセンター(以下、サブカルBC)の利用者のひとりが嗅ぎ取ったみたいな事を言ってたけど、彼がそれから絵が上手くなったわけでは……ゲフゲフン! さておき「描く側」すら気後れしてしまうような絵が主流となるのは、いい事でもあるまいと思う。なんらかの「先祖返り」が起きんとも限らんけどにゃー。と言うか「ガキでも描ける」キャラの方が強いと思っていたが、世間はどうもそうではないみたいで。引用ツイートでも初音ミクに言及されていたけど、あれは結構シンプルなデザインだったな。バカでかいツインテールを除けば。あれって、バランスよく絵の中に収めるの、すっげえ大変でっせー。と言う点とか、上記引用ツイートの主に疑問はなくはない*1が、指摘している「情報量のインフレ」は再考せんと。

 ところで、オレはそんなにガンプラを作る方でもないが、ターンAガンダムってシンプルなデザインだなと。顔のヒゲのインパクトで気づかんかったが、ボディも手足も構成されてる面取りは意外にシンプル*2なんだよ。シド・ミードなりのRX-78ガンダムへの回答がああだったんだなと、今になって思う。キャラ方面でそう言う事が出来る絵師って、凄く少ないんだろうな……。シド・ミードがどれだけ研鑽と言うか大量の仕事をしていたかを考えると、一朝一夕にたどり着ける領域ではないし。さっきからオレも気後れしているような事ばっかり言ってるが、描く事で他人の絵やデザインの凄みに気づいたのも大きいんだよ。オレは何をやっていたんだと言うかね……。サブカルBCに入り描く事に再び本腰を入れたら、余計に。と、書いてて、上記引用ツイの主は二次創作と模写をごっちゃにしてないか気になった。いえね、前述のサブカルBC利用者も、そこがごっちゃになってしまっていたのはあったし、オレも最近のゲームのキャラの模写に苦労した事があったし。決して複雑なデザインでなかったにも関わらず、ですよ。マー、模写もおぼつかんのに二次創作しようと思うかしらと言うのは否定出来んけどね……。

*1:他にも、誰の事か知らんが下手と言うのは語弊がありすぎ。

*2:特に種ガン以降のガンダムと比べたら、それはよく分かる。

オタク文化と共に、人間を信じていた

 オレがオタク文化に対する信頼を持っていたのは、同時にそれを生み出す人間への信頼を持ちたかったのもある。しかし、最近は自分の中でそれが揺らいでいるような気もしていた。そう思って振り返ったものの、実はそんなに揺らいではいなかった。むしろ30年以上前の方が、オレはオタク文化も人間も信じてなかった。ために宗教に走ったり、さんざんだったぜ。近年、オタク文化とそれを生み出す人間への信頼を取り戻す程度には、心の余裕が出来て来たのかも知れない。確かに、数年前までは揺らいでいたかも知れんけど。理由は聞かないでくれ、詳述する気力がない。また、今オレは過去に対し、怒る気力もないんだ。ずいぶん無意味な事だと思えるようになったので。

 前述の「心の余裕」は、やっぱりサブカルビジネスセンター(以下、サブカルBC)に通う事で、ツイッター以外の世界を取り戻したからなんだろうな。と言うか、数年前までのセルフネグレクトがきつかった時期は、現実に対する希望も何もなかったからなあ。人間、自分の居場所があるってのは大きいよ。それにサブカルBCもまた、中心スタッフのオタク文化に対する信頼から生まれたと言えるし。オレはあそこへ通ううちに、人間への信頼を強く出来たのかも知れん。ありがたいこっちゃ。

 あと、下記記事に書いたように、辛い過去を「影掘り」しないようにしたら、だいぶ気が楽になった*1のもある。オレは辛い過去に溺れすぎていたんだろうな。

a-katu.hatenablog.com

 「オタク文化と、それを生み出す人間への信頼」について話を戻そう。「自分の好きなものを作り出したのも人間なら、人間全てを憎むのはお門違いじゃないか?」と言う考えから、オタク文化を信頼している限り人間も信頼出来ると思っていた。しかし、オタク文化の作り手とて善人ばっかりではなかったので、その辺が揺らいでいたが、それは善人ではない作り手個人を責めればいい事であって、オタク文化総体にダメ出しをしていいわけではない。だいたい、世に言う「普通の人」こそ怖いよオレは。理由は詳述しないけどな。

*1:それでも未来に対する不安は、かなりあるが……。

金土日、ブログ休む

 明日から三日間、ブログ休む事にした。たいぎい*1んじゃい。明日はぐっすり寝るぞ、もう。

 それはそうと、過去を嘆かず生きると、こうも楽なのかと。何度も何度も「精神的に参ってる」と言って来たが、最大の理由は「帰らぬむかし」を思って泣いて暮らしていた事だろう。マー、未来を信じられず生きて来たツケだったんだろうが。そこも掘り下げんぞ、そんな余力はない。もう少し楽になるまで、過去を嘆くまい。未来と言うか、余生を楽しく過ごすために……。

*1:広島弁で、しんどいと言う意味。

復讐なんて、出来るわけがない

a-katu.hatenablog.com

 上記記事の続きみたいな話。オレの「アニメ絵」「萌え絵」を攻撃する者たちに対する怒りは、上手く行けば世間のオタクに共有してもらえるものかも知れない。しかし、そうなったためしがない。もとより他人を煽り立てるのが苦手だと言うのもあるけど、大きな理由は題名に書いた「復讐なんて、出来るわけがない」と言うあきらめから、声を上げるのが辛いからだろう。「その割には、このブログでぐずぐず言ってるね」と言われそうだが、このブログは、まず備忘録だからねえ。「復讐なんて、出来るわけがない」と言うところに話を戻すと、いくらオレが嫌いな者を、このブログなりツイッターなりでdisっても、どうにもならないんだよ……。正直「こいつを吊るせーっ!」と言いたいわけじゃなくなったしねえ。それなら、こそこそ大っぴらに絵を描いていた方が、どんなにか。これは約20年前、児ポ法の最初の改正のための「見直し」の時期にさしかかった頃、唐沢俊一が言ってた「地下に潜れ」うんぬんとは違う。オレ自身が復讐心に駆られて、わめき散らすべきではないと判断しただけだ。怒りを捨てたわけではないが、それはそれで別の使い道がありそうで。今、思いつかないけどさ。

 また、単に好きな絵を攻撃する連中に怒る事が、最近は「描く事」に無理解だったかつての周囲への怒りにシフトしてるのもある。そこを「帰らぬむかし」だからと思っているうちに、復讐のしようがないと気づいたし。それはファミ通やログイン*1に対しても同じだ。言うだけ言って、吐き出したのもあろうが……。現在進行形で「萌え絵」叩きをしてる連中に対しては、それぞれ相手によって言うべき事が変わるだろうが、今それが出来る身体じゃねえ。それに、連中に対しては、他にいくらでも対抗する者がいるし……。いや、むしろ対抗している者の「ずさんさ」にうんざりする事だってある。わかんねえかなあ……。三点リーダーばっかりだな、この段落。まあ、ええわい。「萌え絵」叩きをする側にも、それに対抗する側にも、前述の「ずさんさ」は感じる*2し、両方にいる「煽る事しかしない者」を相手にしている暇もない。だから手に負えないので、逃げ出した側面はあるけど。それは結構悲しいが、もうどうしようもない……。

*1:パソコンゲーム誌の方な。

*2:それぞれ、違った意味でな。

「分かりやすさ」の恐怖

 ゲーム制作者の岩崎啓眞さんが「一定以上複雑なものを分かりやすく説明すると、それはだいたい『事実』からかけ離れて行く」と言っていたが、齢(よわい)を重ねた今となってはよく分かる。と言うか、オレ自身も他人にものを説明する時、分かりやすさに気を取られていた事があったのは否定出来ん。ただねえ……、物事の複雑さを理解してもらうためには、それに対する共通前提がキチンとしてないといかんし、そこを見誤るとグダグダになっちまうのも事実なのよ。なんでそんな事を言うのかって? いえね、亡き友「惟任日向」さんとの様々な言い争いや齟齬を思い出して。その一事を書こうとしたが、とてもそんな気になれない……。代わりに次の段落で話を整理する事にした。

 「分かりやすさ」に重きを置きすぎて、かえって話の理解を邪魔している傾向の弊害の最たる例が、近頃のひろゆきのデカいツラだろう。あいつの話法は共通前提をどうするとか、分かりやすさを犠牲にして複雑な事を理解しようとするとかと正反対のものだし、それが広く受け入れられている現状こそ「分かりやすさ」の恐怖の一面だ。ああ、恐ろしい。だからと言って、今のオレにどうこうする事は出来んがな。20年前に表現規制反対派として旗揚げした時*1とは、状況が違い過ぎる……。トホホ。共通前提うんぬんについて、稿をあらためて書けば違うかも知れんが、今はそう言う気になれんのだ。すまん。

 こんな話をするのも、オレが久々にマンガに本腰を入れたのと、最初に述べたように齢を重ねた事とが大きい。前者だが、マンガ表現は「分かりやすくする」事がよしとされる上に、ページ数などで一回に表現出来るものも限定されると、描いていて気づいたので。そうなると、一定以上複雑な話や表現は扱いが難しいんだよ。全く出来ないわけじゃないが、そこは描く当人の能力などにも左右されるし。それを突きつけられた時「分かりやすさ」の怖さも感じたんだ……。こんなもんでいい?

*1:一定以上複雑な話に首を突っ込んだと言うたとえだ、悪いな。

しばらく深刻な事は考えまい……

 明日、このブログに予約投稿をふたつ入れたが、そのあと題名のように強く思った。もう、考えがまとまんないんですよ。まとまってから書けばいい気もするけど、最近考え事がとんと苦手になって、つい。

 あと、深刻な事以外でも考えが巡らんのだ。理由は分からん、考え事しすぎて疲れ果てたのかも知れん。特に今日は、さっぱり考えがな。と言うか、辛い過去を「影掘り」すまいと思ったら、書く事ないよ……。どんだけ薄っぺらい人間だったんだ、オレは。長らく自分で自分の人生を生きてなかったからとは言え、あんまりな話だ。この辺もまとまらんから、ここまでにしとくが。

 と言うわけで、このブログ記事もここまで。明後日からしばらく、このブログも休む事にした。どうにも話がまとまらんのに、ダラダラ書いてもねえ。

孤立を強いられた悲しみ

 オレが「アニメ絵」「萌え絵」叩きに過剰に反応する理由は、やっぱり過去に「孤立を強いられた悲しみ」と、無縁ではないんでしょうなあ……。この辺はあまり言いたくない*1けど、自分の趣味を肯定出来んかった環境の故と言うか。むかしオレは、あまりに臆病だったんだよ。もうちょっと、広い世界に踏み出す勇気なとあったらねえ。長らく「暴力と体育が人権」な社会に囲まれてたせいで、いろいろ貧乏くじ引いたわいっ! 今はそうでもないからいいとしても、あちこちにいる(いろんな意味で)イキッた連中は怖い。

 あと、オレは家族の「囲い込み」みたいなものを打ち破る事が出来んかった。これ以上言うと、辛い過去を「影掘り」しちまうから慎重にならんといかんけど、自分のしたい事にもっと忠実だったら、世界を信じる事が出来ていたらとは言いたい。とか書いていたら、悲しくなって来た。何を書きたいのかも不明瞭だし。強引に言うなら、世界との窓口が「絵」だったから今も描いてるんだろうし、それを攻撃されたらいい気持ちはしないなと。また「影掘り」しそうだけど、言わせてもらえば「絵」で繋がろうとした世界の方が、家族や「暴力と体育が人権」な社会*2より優しかったんだよ。そこまで破壊されては……。と言っても、破壊して来ようとする連中が改心してくれるとは思えないけど。だからと言って、泣いて暮らすわけにもいかず……。困った。

*1:今、辛い過去を「影掘り」したくないねん。

*2:それはよく引き合いにだした中学時代の周囲に限らない。

木炭マン、どんと来い、なんでも来い!

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 上図はレインボーマンダッシュ1でも、アストロミュー5のウルトラアースでもなく、オリキャラの「木炭マン」だ。木炭パンチと木炭キックが得意技のヒーローだぞ。

 確か木炭マンも、夢の中に出てきたキャラだとは思うが、違うかも知れない。なんにせよ、また作ったのかと言うツッコミは避けられん。しかしなー、オレも往年のほりのぶゆき並みに、多量のへっぽこヒーローを考えるわい。ほりのぶゆきの「先発マスク」とか「旅マン」とかほどのインパクトはないが、木炭マンはなかなか善戦してると思う。なにがよ。へっぽこと言うと語弊はあるが、ウルトラマン仮面ライダーみたいな主流にはなり得ない仇花と言うかね……。

 さておき、オレはキャラを作りすぎたかも知れない。使いきれないほどキャラを作って、キャラたちに申し訳ないとは思っているよ。さりとて、それぞれのキャラでマンガ描くのは非常に難しいしよおーっ! どうにか善後策を考えねばならんが、今思い付いたのは、最近描いてる4コマ『ある日の乗鞍家』の劇中劇キャラにするとかだ。木炭マンを出して、読者が喜ぶのかは知らんけど。

当分「影掘り」はすまい……

 この一連のツイートに出て来る「影掘り」とは何よと言う事だが、自分の過去の暗部やなんかを掘り下げる事だ。景山民夫が言ってたのは、酒の席で集まった者が一斉にやる行為だったが。書いてて「影掘り」とは、ひとりでやるものではないのかも知れんと思ったが、オレは「ぼっち体質」なんだよ。辛い過去の何が出て来たかは、この記事では書かない。これ以上苦しみとうない……。

 んで、過去との向き合い方を間違えると、自分の中の過去の出来事がヘンな積み重なり方をして、テトリスの「詰む」状態みたくなってしまう。これは非常にまずいので、当分「影掘り」はすまい。辛い過去がフラッシュバックしても、それに拘泥せんようにしなければ……。決して明るい未来が待ってるわけじゃないにしても、だ。とか書いていたら、左肘が痛くなって来た。この記事ここまで。

めっちゃ分厚い心の壁

 どうやらオレは自分が思ってるより分厚い心の壁に、己を取り囲んで生きていたらしい。他人との接し方など、いろいろ考えるとね。マー、そうなるにはそうなるだけの理由もあるが、詳述はしない。悲惨な人生が続いたからとだけは、言っておくが……。問題はこれからどうするかですよ。例えば心の壁の一部にある、対外的な間口みたいなものをどう広げたらいいんだとか。そこがあまりに狭いため、他人との接し方が下手だし。そりゃ、他人……特に女性……が怖い*1のもあるけど。一方で縁のある他人に甘えがちだし、どうにもこうにも。こう言う葛藤もまた、分厚い心の壁の中にしかいられない自分へのもどかしさ故なんだが、対策が見えない。

 ところで、オレがマイナー趣味なのは、マスメディア上の言葉の多くは、オレに向けられたものじゃないと思ったからなんだろう。それは前述の悲惨な人生が影響しており、それが元でマイナー趣味もまた心の壁の一部になってしまったような。いかんなあ。話を心の壁の中の自分に戻そう、なんでこんな話をするのかと言うと、孤立しがちな人生に嫌気がさしたからだ。自分を守るためとは言え、めっちゃ分厚い心の壁を築いたばっかりに、孤立しがちになったのを今さら後悔していると言うべきか。別にオレは「陽キャ」になりたいわけではなく、自分の人間関係構築能力に疑問があるのだ。

 んで、オレが結構頻繁に言う「絵を通して社会と繋がりたい」願望だが、絵*2で繋がれる相手は世間の残酷な連中よりはましだろうと言う皮算用があったのは否定出来ん。それならもっと必死になって絵やマンガ描けよ、かつてのオレとも思うが、過去のオレに多くを期待してもねえ。ひっしい~。言ってる場合か。さておき「絵を通して社会と繋がりたい」気持ちは、オレの狭い対外的な間口の中でも、結構大きなウエイトを占めている。そうするしかなかったんだ、学歴があるわけでもなければ、力仕事が出来るわけでもねえから。しかし「絵を通して社会と繋がりたい」なら、絵で以外のコミュニケーションも大事なんだよ今は! それをサブカルビジネスセンター(以下、サブカルBC)で痛感した。詳述はせんが、セルフネグレクトに沈んでいてはダメだったり、対外的な事がある程度出来んといかんのよ、あそこでも。心の壁をなくし、フルオープンに生きる事なんて出来やしない*3が、間口は広げた方がいいと、サブカルBCに通って痛感した。念のため言っとくけど、他の利用者と仲が悪いわけじゃないよ。あくまでオレが他人と接する時に感じている、自らの心の壁の問題であって。オレの中のめっちゃ分厚い心の壁は、目に見える類のものではないが、最近それにいろいろ自分が阻まれているなと感じて。それを築かないと生きて行けない状況でもあったが、自分にとって邪魔な事が増えては。

*1:中学時代に女子生徒からもいじめられたり、長じて悪い女性に酷い目に遭わされたら、どうしてもね。

*2:それもオタク好きのする、マンガ系の絵。

*3:誰にだって、心の壁がなければウソである!