走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「分かりやすさ」の恐怖

 ゲーム制作者の岩崎啓眞さんが「一定以上複雑なものを分かりやすく説明すると、それはだいたい『事実』からかけ離れて行く」と言っていたが、齢(よわい)を重ねた今となってはよく分かる。と言うか、オレ自身も他人にものを説明する時、分かりやすさに気を取られていた事があったのは否定出来ん。ただねえ……、物事の複雑さを理解してもらうためには、それに対する共通前提がキチンとしてないといかんし、そこを見誤るとグダグダになっちまうのも事実なのよ。なんでそんな事を言うのかって? いえね、亡き友「惟任日向」さんとの様々な言い争いや齟齬を思い出して。その一事を書こうとしたが、とてもそんな気になれない……。代わりに次の段落で話を整理する事にした。

 「分かりやすさ」に重きを置きすぎて、かえって話の理解を邪魔している傾向の弊害の最たる例が、近頃のひろゆきのデカいツラだろう。あいつの話法は共通前提をどうするとか、分かりやすさを犠牲にして複雑な事を理解しようとするとかと正反対のものだし、それが広く受け入れられている現状こそ「分かりやすさ」の恐怖の一面だ。ああ、恐ろしい。だからと言って、今のオレにどうこうする事は出来んがな。20年前に表現規制反対派として旗揚げした時*1とは、状況が違い過ぎる……。トホホ。共通前提うんぬんについて、稿をあらためて書けば違うかも知れんが、今はそう言う気になれんのだ。すまん。

 こんな話をするのも、オレが久々にマンガに本腰を入れたのと、最初に述べたように齢を重ねた事とが大きい。前者だが、マンガ表現は「分かりやすくする」事がよしとされる上に、ページ数などで一回に表現出来るものも限定されると、描いていて気づいたので。そうなると、一定以上複雑な話や表現は扱いが難しいんだよ。全く出来ないわけじゃないが、そこは描く当人の能力などにも左右されるし。それを突きつけられた時「分かりやすさ」の怖さも感じたんだ……。こんなもんでいい?

*1:一定以上複雑な話に首を突っ込んだと言うたとえだ、悪いな。