走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「好きなもの」を守りきれなかった男の後悔

 このツイートから連想したことを、つらつらと。最近のオレも、まさにそんな状態だったかも知れない。素直に好きなものの話をしていればいいものを、恐怖に怯えてアーダコーダと……。でも言いたくはなるわさ! 長年の間、家族だの宗教だのファミ通だのログイン*1だの、その他様々な有象無象に好きなものを攻撃され、その悔しさをバネに表現規制に反対しても、最近は「表現の自由戦士」だなんだとさげすまれ……。キレるぞこの野郎! 前にも書いたけど、オレがいくらキレても誰も怖がらんだろうけどな。好きなものを攻撃して来た連中のうち、ファミ通とログインに言いたい事はまだある。ログインは休刊しちまったし、ファミ通も今は毛色が変わったかも知れんから、「喧嘩過ぎての棒チギレ」だろうがな。しかし悔しいなあ、ファミ通とログインによる「アニメ絵」に対する罵詈讒謗(ばりざんぼう)に打ちのめされたばっかりに、宗教に引っかかった時趣味をいったん捨てようとして苦しんだし。ファミ通とログインが洋ゲーを褒めそやすもんだから、引っかかった宗教がアメリカ発祥と言う事でそんな事を。言うなれば、不幸の玉突き衝突ですよ。だけどファミ通に、「責任取れー!」と言える立場でもないしねえオレは。前述のように、罵詈讒謗が酷かったと言うだけよ。せめて「まーたファミ通が愚にもつかない事を言ってるよ、バカだねえ~!」と笑い飛ばす強さがあったか、あの頃趣味を分かち合える友達なといればねえ……。あー、思い出したら泣けて来ましたよ。

 泣いてもいられんので、「何にもしないと好きなものは減り、嫌いなものばかり増えていく」件について話を戻そう。長年の辛い経験や、そこから学んだ「趣味が合うからと言って、そいつが他のところで話が合うわけでもなければ、ましてやいい奴とは限らない」と言う教訓や、近年のツイッターでの目を背けたくなる争いにより、好きなものを好きと言える勇気を失い、嫌いなものばかり意識していたら、オレもそうなりつつあった! なんて事だ。しかしこの苦しさを説明出来なかった、ネットでは「言うだけ無駄」な気がして。「お前は友人知人を信じてなかったのか!」とのお叱りは、甘んじて受けよう。人になんて言えば伝わるのかについて自信がなくなったためと言っても、言い訳にもならんかも知れんけど。今にしてみれば、そこをちゃんと人に説明せんかったから、数年間苦しむ破目になったんだろうが、後の祭りである! それ以前に、オレが何に苦しんでいるのかの前提が人と共有出来てなかったが。今から説明して、間に合うかしら? ちょっとやってみるか。いや、オレの中に好きなものを守る強さが少なかったばっかりに……。詳述すると話がループするから、長年好きなものを蹂躙され、孤独も長く、それでこんな事にとだけ。オレは悲しい。

*1:パソコンゲーム誌の方な。