走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

運命だ~よ、ナ~ニ~。宿命だ~よ、ナ~ニ~……なんのこっちゃ

 最近、不安が強くなり、どうにもならない。この記事書いている現在も、言いようのない不安と恐怖にさいなまれているしよおーっ! これでは、ブログを休んだ意味がない。運命だ~よ、ナ~ニ~。宿命だ~よ、ナ~ニ~……なんのこっちゃ。

 あるいは、月~金とブログを休んでるからこうなっているのかも知れん。くっそー、知れんが知れん知れん……言うな、気が滅入っているから出た冗談にすぎん。辛い時に愚痴を垂れるだけではいかんが、何らかの形で吐き出す事も必要なのかも。オレにはそう言う場が得られなかった時期があったので、余計にそう思う……と書いたら、その「愚痴る場が得られなかった時期」を思い出してしまい、余計に辛く。おまけに一瞬、あの頃死んでりゃよかったかとまで思ったけど、あの頃死んでたら今のオレはないのであって。なんで前後ホコトンな事を言うかな、オレは。強烈な自己嫌悪が、そうさせているんだが。多くのSF作品に横溢するニヒリズムの洗礼を受けたり、勤め先で殺されかかったり、転職しても男子中学生に嫌がらせされたりだと、どうしてもね。SF作品はさておき、悪いのは殺そうとした奴や嫌がらせして来た男子中学生とかだろと理屈では分かっているものの、オレは自分を肯定しづらい。自己肯定をする経験が、あまりに少ないからだ。そりゃ、いい事だってあったが、それが記憶に残りにくいのが。人間、そう言うものだとしても、それでは人生が辛い。辛さに負けてはならん、どうにかせんと……。

どんどん絵を描きたい気持ちが……

 どうしたんだろう、絵を描きたい気持ちがどんどん小さくなっている。「絵を通して社会と繋がりたい」と思っていたオレが「これ以上、いくら描いても無駄だ」と言う考えに支配されそうになってる、どうしよう……。この数日、絵やマンガについての教本を読んでいたのに、急に絵やマンガが嫌に……。単に気の迷いなのか、いろいろ世の中や自分自身への嫌気が溜まっていたところ、内心の気づかないところで何かがそれを爆発させたのか。前者はともかく、後者だったらシャレになってない。世の中への嫌気や不満を絵やマンガでそらしていたのに、それすら出来なくなったら……。

 とりあえず、サブカルビジネスセンター(以下、サブカルBC)は明日明後日まで休みを取っているので、その間に復調を図るしかねえ。つーても、寝てるくらいしかする事は。それにしても、オレは悲しい。絵については執念深かったオレが、急に「これ以上、いくら描いても無駄だ」と思うなんて。かつて家族の反対に引っ張られ、やる気を失くしていた時期以上に酷いぞ。今は家族の邪魔はないのに、あきらめが出たんだからな。あるいは教本をいろいろ読んでいて、頭が一時的に混乱したので、描くのに支障をきたしているとか。実際、過去に何度かそう言う事があり、教本のたぐいを買い控えていた事もあったからな。と言うか、何を基準に「いくら描いても無駄だ」と思ったのよ、オレ。pixivの閲覧数? ツイッターでの評価? それとも、嫌いな作家以上の売り上げが期待出来ない事? な~にを晒し粉、膨らし粉。「対外的な評価」は水物やぞ、それにこだわって描けなくなるなんて、バカバカしくないか? 「嫌いな作家以上の売り上げが期待出来ない」事にしても……言うまい。今まで言った事のどれもこれもが、オレの気持ちを小さくした決定的な理由ではない気がするし。更に付け加えるなら、いろいろ描いていくうちに自信を喪失したのかも知れん。こう言う時どうすればいいか、教本には書いてないしなあ。「描いていくうちに自信を喪失した」のは、自分の思ってるようなものにならない事がこたえたと言うか……。常に100%自分の思うものが描ける奴がいるんなら、顔が見てみたいがな。

 いろいろ書き出したら、落ち着いて来た。それではみなさん、また土曜日に。

確かに

 かつてオレが勤めていた鉄工所が、上記ツイートに当てはまる。オレの事を怒鳴るわ殴るわ、挙句の果てに社長の弟が殺そうとして来るわ。いい仕事が出来る環境ではなかったな。しかし、あの頃の事を思い出すと悲しくなる。と言うのも、単に暴力を振るわれただけじゃなくて、周囲に味方がおらなんだ故の手詰まりも経験していて。と言うか、呉市で人間関係がキチンと構築出来んかったばっかりに。それ以前に、オレは呉では鼻つまみ者だったのかも知れん。ダメじゃん!

 「オレは呉では鼻つまみ者だったのかも知れん」と言うのは、いろいろ悪い噂を立てられていたらしいんだよ。オレの預かり知らぬところで! だが詳述はしない。書けば書くほど辛くなる話、誰がしますかい!? そうでなくても、ここまで書いていてすっげえ辛いし。くっそー、これでは何のためにブログを休んでいたか分からん! この記事、ここまで!

ああ、迂闊な事言うんじゃなかった!

 まず、この一連のツイートを見てもらいたい。

 と言うわけで、ここから先は「ツイッターで言えないくらい弱気な感情」に任せた事を言おうかと。上述の「別の作品のネーム」とは、下記記事でも触れたショートギャグのネームだ。そして件のネームを完成させたあと、急に「オレはもう、絵やマンガを描く事は出来んかも知れねえ……」と言う弱気が出たんだ。理由は後述する。

a-katu.hatenablog.com

 何故「オレはもう、絵やマンガを描く事は出来んかも知れねえ……」と思ったのかと言うと、ショートギャグを描き上げる時間が取れるのかと言う不安から、弱気が芋づる式に出て来て。そうでなくても、絵やマンガの描きかけがいろいろあって、それを思うと不安が強くて強くて。サブカルビジネスセンター(以下、サブカルBC)でやってる事もいろいろあり、自宅にある描きかけの絵やマンガはあくまで二の次、三の次と考えんと辛いかもと思っていたが、それでも「いつ描くつもりだ?」と自問したら急に苦しくなって。上記ツイートでも触れた「マンガやマンガに近いイラストの教本」にもメンタル面の保持について章を割いてるのもあったが、オレは精神を病んでる分いろいろ打たれ弱いのを忘れていた。ダメじゃん! さておき「もう描けないかも知れない」と言う不安は、これまでにもついて回っていた。サブカルBCで学んでいるうちに、スキル的な伸びしろがまだあった事を喜び、このところは「もう描けないかも知れない」と言う不安は出て来なかったものの、実質的な「描くための時間」について考えてなかったと言うのが急にこたえて弱気に。しかし弱気では、サブカルBCで「面白い事」が出来てる喜びすら危うい。迂闊な事を言ったばっかりに……。マー、引用ツイート群でも述べた、オレがかねがね意識している「締め切りが、あると描けない。ないと描かない」問題の変形ではあるんだが。締め切りとは「目的のため、いつまでに」描くかの目安だからな。これが私的に持ちえないオレに、一枚絵はともかくマンガは描けるんかと。メンタル面のつまづきは、描くツールやスキルだけではどうにも克服出来んし。愚痴聞いてくれる相手も少ない*1しねえ。いや、愚痴ってるだけでは、よりドツボにハマりかねん。となると、どうしたものか。

アカポ
マルポ
ポンキ
タン

ポタン
ポトン
カタン

 ……失礼しました、取り乱しました。急に頭が働かなくなり、無理にでも話を進めるため無意味フレーズを。「描くための時間」さえ確保出来れば、描けないかも知れないと言う不安は消えるんだけど。もう少し、スケジュール調整をしてみるか。それ以前に、精神状態を安定させんと。最近、天気や気圧が不安定だからこんなにグダグダになってるのかも知れんが、それを言ったら天気や気圧の変化の度に何も出来なくなっちゃうでしょ。

*1:だからこんな文章書いているんだけど。

そんなわけで、いろいろ出来ん……

 明日、一本予約投稿している記事があるが、それ以降ブログ書けるか分からなくなってきた。上記ツイートに少し書いたが、スケジュールが立て込んでるのと、精神状態の悪化とで。pixivへの作品描きとて、してる暇あるんかと。とにかく休みたい……。休むとは、余計な事を考えないで心身の回復を図る事である。実はこの記事も書くのが辛い、どうにもこうにも。なんでこう、心身が安定せんのだ。身体が悲鳴を上げてるからかも知れんな、残念ながらしばらく時間があれば寝ているしか。

美術関係の本しか、頭に入らん……

 本が読めるだけまだましかも知れないが、最近は美術関係*1の本しか頭に入らない。マンガ描きたい癖に他人の描いた「未知の」マンガが読めんと言う因果な状態であるから、いわゆる「入力」がおぼつかない。おまけに最近は、下記記事のような体たらく。

a-katu.hatenablog.com

 話を「絵を描く」方面の本に戻すが、複数の本を読んでると、描くノウハウにしろメンタル面の問題にしろ、言ってる事が食い違ってる事がある。だからこの手の本の商売が成り立つんだろうが、初心者はかえって混乱するのでは。最近の絵師・マンガ家は、一種の根性論めいたものとは一線を画す考えをしているけど。

 しかしながら、いろいろ読んでみて思うのは「この世界は、実際に描いた者の勝ち」と言う、貝塚ひろし吉沢やすみに言った言葉の重みである。実際描いて描いて描いた者が、マンガ界に残っていると言う重い現実を突きつけられているっつーか。だからオレもあがいているが、これまではあがき方が足りなかった。この年になって、つくづくそう思う……。あきらめきれぬから、いろいろ「絵を描く」方面の本を買い、サブカルビジネスセンター(以下、サブカルBC)に通ったりもしているんだが、決定的に足りないのはなんなんだろう? いろいろ足りない気がするが、決定的に足りないものが分からん。「入力」か。描く量か。描くスキルか。体力か。そこをごちゃごちゃ考えても、得られるものは何もなさそうだが。さいとうなおき『うまく描くの禁止』にはスランプに陥った時こそ描く事を推奨するくだりがあるが、これを書いてる現在台風が日本に近づいてるせいか、描くために頭が働かないのだ。この記事だって、ここまで書くのが辛いし。

 ところで、最初に触れた「入力」の件だが、ネットが「おすすめしていらんわ」と言いたくなるマンガをやたら広告に出すもんだから、意固地になって読まないでいる側面もある。それで大いに損してるのは分かってるけど、意固地になったのは他人や世の中が怖いからでもあるんだ……。悪循環のスパイラルである。トホホ。サブカルBCも、こう言う点を克服する知恵は授けられないだろうしなあ……。

*1:厳密には、マンガとその周辺のイラスト関係。

しまった、気持ちが折れた

 26日から再開の予定だったが、言う事が出来て。実は絵やマンガを描きたい気持ちが、ポッキリ折れてしもうた。なんでポッキリ折れたのかと言うと、自分が嫌になったからかしら。朝に8ページほどのショートギャグマンガのネームを完成させたあと、夕方ごろ急に自己嫌悪が襲って来て、にっちもさっちも行かず……。再三「絵を通して社会と繋がりたい」と言って来たオレが、描く事に嫌気がさしたんですよ。どんだけ重い自己嫌悪なんだよ。とは言え完全に筆を折る気はなく、折れた気持ちの修復のためこんな記事を書いているんだが。「ブログ記事を書く事が、創作意欲の回復に繋がるのか?」と言われそうだが「なんでこんな気持ちになったんだろう?」と言うのを脳内で整理しつつ文章を書く事で、自分を客観視し「それならこうしたらどうか」と言う解決の道を探ると言うか。実際この記事を書く事で「そん~なに、落ち込むほどの事かしら?」と、冷静に自分にツッコミを入れられているし。

 と言うか、金もないのに絵についての本を買った事で自己嫌悪に見舞われたのが、より実態に近い。絵の勉強とショートギャグマンガのネタ集めのためとは言え、散財は散財……。どんなショートギャグかって? 「21世紀のサルまん」を目指したんだ。要は「マンガの描き方の体裁を取ったギャグマンガ」みたいな。本家の『サルまん2.0』が失敗したのにか? と思われるかも知れんが、描き方次第だろうと。8ページずつの全8回予定だったけど、ネタ出ししてるうちに自分が人に偉そうに言える立場かとか考え出して、いろいろ気が滅入って。描きかけで放置するのも寝ざめの悪い思いをしそうなんで、ネームが完成した一回目だけでも完成させたいが、時間あるんか? いろいろ忙しいってのに。とまで書いたら、すっかり落ち着きましたよ。記事を書いてる過程で、もしかしたら自己嫌悪どころか自分を憎みすぎてるのかも知れんと思ったが、それを言うと話が広がりすぎるから、そこには触れずこの記事を終わらせてもらう。

「そんな話、聞きたくなかったな~」にあふれた世の中

 ところで、ひろゆきが使う話してる相手に対し「それって、あなたの感想ですよね?」と言って話を遮る話法だが、それを使った方がいい相手もいる気がして来た。「ひろゆき話法」なんて繰り返しやるもんじゃないが、世の中には話聞かん方がいい相手もいる以上……って、いかんいかん。なんでひろゆきごときの真似なんぞせにゃならんのか。それだけ「そんな話、聞きたくなかったな~」と言いたくなる話が、世間に多いって事だが。

 と言うか、オレが律儀に話を聞きすぎな気もする。何度それで酷い目に遭ったよ、オレ。だけど「人の話を聞かない」ってのは、これまたやりすぎるとあとで困るし……。考えれば考えるほど気が滅入ってくるわ、この話ここまで。

 あ、そうそう。26日までブログ休むぞ、今週の平日も忙しそうなんで。平日はコメントも返せる時間ないかも知れない、それだけいろいろあるんだ……。

こんちくしょー、また落ち込んで来た

 ブログを書いてて、また落ち込んで来た。ちくしょー。理由は、これ!

 星新一の『あーん、あーん』については言及しない。ショートショートだからネタバレはまずいし、言及しようとすると余計に落ち込む。ジョジョ5部の「自分の汚れを落とそうとして余計に汚れてしまい、うろたえるパープル・ヘイズ」状態になっても、仕方ないしな。『あーん、あーん』を思春期の辛い時期に読んで、物欲や欲求に対する罪悪感が強くなったとまでは言えるが……。こんな事なら、読むんじゃなかった。こう言う経験が重なって、何度か言及した「未知の物語」への恐怖やうんざりした気持ちも強く……。分かるか! ええ、分かるか! ピストル大名! ……もうええがな。「未知の物語」に食指が動かんのは、持病の統合失調症により映像作品を観たり読書したりが苦痛な事が増えたのも大きいが。しかし物欲への罪悪感は根深く、プラモ屋をひやかすだけで罪悪感が出る時も。いいじゃねえか、オレ。

 「物欲への罪悪感」と「未知の物語への恐怖」が、ちょっと困った事を招いている。せっかくスパロボの新作『スーパーロボット大戦30』*1が出るってのに、前述ふたつの感情で素直に喜べんのだ……。オレがニンテンドーDSでやってたスパロボはバッドエンドではなかったし、一種のお祭りみたいなゲームだから安心しているところもあるが、前述の「物欲への罪悪感」によりオレは買っていいのかとか、買ったとして「未知の物語への恐怖」からクリア出来るのかとかね……。だいたい、物を買わなければ幸せなのかと言うと、実はそうではない。人間、飯食って寝てるだけでは生きて行けんのだ。それは「生存」かも知れんが「生活」ではないし。それと、思春期に物欲や欲求への罪悪感が植え付けられたのは、家族のせいでもある。同人誌を買ったら「いっぺん死ね!」と言われたり、他にもいろいろとあればね。してみるとオレの不幸を星新一のせいにしそうになってただけとも言えるが、思春期前半にはオレのしたい事を肯定してくれる価値観に出会えなかったのは事実だ。その反動が、一方で物を買う事への執着(しゅうじゃく)に繋がっているのかも知れん。なんぎなオレ……。この辺の怨念は、まだ消えそうにない。困った話だ。

*1:30とは、2021年がスパロボ30周年の由。

急に気力が

 急に物を言う気力がなくなって、ブログの編集画面の前で途方に暮れている。何を言っても、自分の内面にいるもうひとりの自分が揚げ足取りをしてくるため、文章を書く気になれず……。絵を描く時にも、そいつはいろいろ指図臭い事を言い出すし。あまりにしつこい時は『あずまんが大王』のゆかり先生のように「うるせー!」とキレるしかないが、それも何度も通じないし。

 とか書いていたら、目眩までして来た、寝る。