走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

今日で移転一周年ですと

 はてなの言う事には、今日ではてなダイアリーからはてなブログに移転して一周年ですと。別にめでたい話でもないが、一年でいろいろ周辺が変わっているのは確かだ。客観的な状況は予断を許されないが、就労支援施設で絵やパソコンを学んでいるのはいい傾向だと思う。いえね、うちにいるだけの時より絵やマンガを描くようになったし。出来ればオレの作品が、もっと広く世に出ればなあ。それを見込んで通ってんだし。と言うか、もっと急いで作品を発表しないと、としをとってしまう。いや、客観的な状況が悪くなりすぎてしまう。「なんでよ」と言われたら返答しづらいが、ツイッター見ていたらなあとしか。

 ともあれ、来年もこうやってブログで二周年が報告出来ればいいのだが。

もうちょっと図太くならんと

 最近オレは、自分の意見を直接人に言うのが苦手になった。しかしだ、それは単なる事なかれ主義に堕しているだけかも知れない、いかんなあ。オレの場合、「弱いんだから、ケンカになった時は相手とともに討ち死にする覚悟がいるかも知れん」と言う悲壮な考えが、他者とのケンカを避けさせてるのもあるけど。そんな物騒な話を抜きにしても、長年意見を聞いてもらえなかったり、言う事を禁じられたりして来たのが今になってこたえているのが大きい気もする。なんの事かは言わない、繰り言になるからな。マトモに意見を聞いてくれる相手が31年前にいてくれれば、こうまでこじれるこたあなかったろうが、今言ってもなあ。

 カマヤン(id:kamayan)さんは、かつて「沈黙は悪徳です」と言っていたが、オレはその悪徳に引きずられていた。題名に書いたように、もうちょっと図太くならんと。

過去を悔やみたくねえ!

 例によって、辛い過去を悔やみ嘆こうとしたが、それで具体的に人生がよくなったわけではなかったのを思い出し、やめた。出来れば「あった事はあった事」以上のものではないと達観出来ればいいが、トラウマがよみがえった時の苦しさを考えると、まだまだそれは無理だ。実際、フラッシュバックが強くなってるし。せめて明るい未来があればいいのだが、まだいろいろ予断を許されないので、あるとは言えねえのだ。いろいろマシになってはいるけどな。出来ればこのマシになってる状況を長続きさせたいし、もうちょっと人生を好転させたい。実行するのは難しいけどな。前述のように、フラッシュバックがキツいし。

 しかしなー、就労支援施設で絵の話やレトロゲームの話が出来る相手が増えたり、絵を描く調子が上がって来たり、その意味では長年の苦労が報われた気がする。レトロゲームに関しては「それはそれで過去に生きている」と言われそうだが、いろいろあってねー。金がないから、最近のゲームを楽しめないとかよぉー! 金がないため最近はレトロゲームだって楽しめてないが、ゲームの思い出話に花が咲くんだよ。就労支援施設の門を叩いて正解だった、もし通ってなければ、今頃セルフネグレクトの果てに死んでいたな……。ただ問題は、就労支援施設を通して作ったグッズの売れ行きが分からない*1事だな。欲だと叱られそうだけど、こう言う機会なんだから、そりゃ。金になれば、より高みへ行くチャンスだってあるし。そうです! 皮算用です!

*1:と言うか、まだ売れてない。

自分のマニアックさに対する嫌気の正体

 このところ、オタク仲間にすら閉口されるオレのマニアックさに対する嫌気は、もしかしたらこのツイートにヒントがあるかも。

 オレは上記ツイートの後者なのかも知れん、だから嫌気がさすのかも。自分で言ってて自己愛が鼻につくようになったと言うか。自己嫌悪と自己愛を行ったり来たりか、めんどくさいのう我ながら。

 と、書いたあと、話が続かなくなってしまった。厳密には、何を言っても嫌気がさすと言うか。こうまで自己嫌悪が深いのかよ、前述の自己愛だって少しくらいはええやんか。そこまで自分を憎んでどうするつもりだ! だからなんに対しても、嫌気や憎悪しか感じないんじゃないのか。最近酷いぞ。長い間周りからボロクソに言われ続けたのを、まだ引きずってるのか……引きずってるんだが。

目立つのは難しい

 以前、地元のラジオ番組『ラジプリズム』で、部長(パーソナリティ)が「他人は自分の事を、そんなに見ていないものだ」と言っていた。それを受けてオレは、こんなツイートを。

 そう、ツイッターでもなんでも、目立つのは難しいんだよ。世の中が「無気力と自暴自棄」に毒されているから、襟首つかんで「ああしろ、こうしろ」と言ってもせんないし。また、オレ自身が目立つのが苦手なのが。

 ……と、書いて話が続かず放置していたら、ハヤ9月が終わりそうに。そろそろ発表しとかんと、タイミングを永久に失う。なのでこれからちょっと書き足しをして発表する事にした。

 冒頭の「他人は自分の事を、そんなに見ていない」だが、これは確かによく言われる。しかしだ、オレらは本当に他人の事をそんなに見ていないのか? 見ていないように見えるが、巧妙に相互監視を煽られていないか? ネット社会が巨大な監視社会になっているようでは、なあ。

自分の考えすらうっとうしい

 最近オレは、自分の考えすらうっとうしい。頭の中でごちゃごちゃ考えているうちに、うっとうしくなるのだ。そのため、ブログ記事やらツイートやら書いていても、途中で挫折する事が増えた。思考がまとまりにくい病気のせいか、あるいは勤め先で「ちゃぶちゃぶぬかすな!」と言われ黙らされて来た*1のを引きずっているのか……。とか分析するのもうっとうしい、トホホ。

 いや、自分の考えすらうっとうしいのは、いくら考えてもどうにもならなかったから、やけになってるだけかも。それはまずい、落ち着けオレ。

 あと、世の中に対し極端な事ばかり考えるのもいやだ。流石にそれは公言出来るものじゃないから、ブログなどでも黙っているがな。どれだけ世の中に絶望しているんだよ、オレは。実は何度かブログに書こうとしては、その度に思いとどまったんだけどね。そこまでやけっぱちになるわけにはいかんもんなあ……。そのくらいなら、無理してでもアホなマンガ描いて発表した方がマシか。

*1:時には殴られた。

ようかんのかん、二棹(ふたさお)ふえて、ようかんのかん

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 えー、ツイッターに挙げたようかんの絵を。元ネタは『ゲゲゲの鬼太郎』から、猫にされた鬼太郎とねずみ男を歓迎する猫たちの歌「にゃにゃんのにゃん、二匹ふえて、にゃにゃんのにゃん」の替え歌……って、また分かりにくいネタをー。しかし我がタイムラインも、「コンジャラー」だのようかんだの……。類は友を呼ぶのか。

 それはさておき、このようかん、もとはと言えば2ちゃんねるアスキーアート「ようかんマン」だったはず。息が長いキャラだな。マー、このキャラが今なお好きな人が、ネタにしていると言う事なんだが。してみると流行り廃りに関係なく、好きなものを追いかけるのも悪くない。と言うか、そんな事ばっかりしてますよ、オレ。もともと流行りに乗るのが下手だしねー。それにはいろいろ理由があるんだが、書きたくはない。悲しくなるだけだし、「かえらぬむかし」を嘆いてもなあ……。と、書いたところで、この記事終わり。

次々に過去の不幸を思い出す……

 「またかよ」と言われそうだが、このところ過去の不幸を次々に思い出して、辛い。この記事を書いている間もだ! オレはどうすりゃいいんだ。

 勤め先で殺されかかった事や、通っていた中学校で孤立していた事、家庭が冷えきっていた事、マンガ家になれなかった事、などなど……。これらが車がかりで攻めて来てなあ。マー、マンガ家うんぬんは、就労支援施設でいろいろやっている事で埋め合わせしているが、他の事はまだ。中学校での孤立も、のちにゲーセンでオタク仲間を見つける事で埋められた気になっていたが、最近になって、実はずっと一人相撲をとっていただけなのではと言う不安が……。それはマンガ家うんぬんとは逆に、就労支援施設で自分がいらん事まで言っているのではと思うようになったからだが。そりゃ過去にとらわれて、今を見失えばバカのはじまりはじまりだけど、自分がこうまですっからかんだったとあっては……って、家族が「あれ取れ、これ取れ」「ああしろ、こうしろ」「あれ買って来い、これ買って来い」ばっかりでは、自分を磨くとか満たす機会なんてほとんどないわ! そんな時期を越えて、今日まで生きて来たんだから、それだけでもオレは偉いよ。しかしながら、中学時代*1にオレを苦しめた連中への恨みつらみは、まだ強い。これを水に流してへらへらしていられるほど、オレは能天気じゃない。止揚したいとは思うけどねー。

 それにしても、ツイッター見ているとげんなりする。上手く言えないが、自分が孤立しているのを強く感じてなあ。何を言っても、シカトされているみたいで。バカ話に集中していればいいような気もしないでもないが、タイミングが合わないと、前述のような一人相撲になりがちだし。梶原一騎気取って、「自分の信念を世の中に逆らっても貫こうとする人間は、どうしても一匹オオカミになる」とうそぶいてもいいが、オレは今のところ世の中に逆らっているつもりはない。

*1:に、限らないが。

フィクションを楽しむのに向いてないオレ

 今日の『ゲゲゲの鬼太郎』を見て、オレはつくづくフィクションを楽しむのに向いてない性格だと知った。戦争がひとりの者の悪意「だけ」によって引き起こされるパターンが苦手と言うのもあるが、見ていて「オレの手で九尾の狐をやっつけてえ!」と、強く思うように。「おてまえいくつでござるか」とのお叱りは避けられんし、我ながらこうまでスタッフを……いや、他人を信じていないとは。そりゃ来週も見ますよ、結果が気になるもの。それはそれとして、オレがフィクションを楽しむのに向いてない性格だと思い知ったのがなあ。「既存の物語に対する不満」は、創作者となる原動力たりうるが、それだけの力になってるかどうかあやしいし。他人だけでなく、自分も信用出来てないのか。それは前から、このブログで書いていたけど。

 さて、これからどうしよう? いっさいがっさいフィクションから離れるわけにもいかんし、自分が納得の行く物語を作る時間が残っているかも分からない。待て、後者を実現するため、いろいろやって来たのに、そんな弱気でどうする。しかしこの数年で、フィクションを楽しむ力が一気に衰えたのが分かって愕然とした。マー、ツイッターでの跳ねっ返りみたいに、自分の気に入らない作品を滅ぼそうとしてないだけマシか。「自分だったらこうしたい」と言うのを全然作品に出来てない以上、目糞鼻糞かも知れないが。

ダイナマイト悶々

 題名に意味はない、あまりに辛くてアホな事を書きたくなったまでじゃ。

 それにしても、オレはなんで絵を描く筆が遅いんだ。厳密には、描きはじめるまでの時間が長かったり、最近では描いていると辛くてなって長続きしなくなったりで完成が遅れるんだが。絵を描く時に辛い過去を思い出し、苦しむ事も増えたし。描かなければ、としをとってしまう。いや、死んでしまう。と言うか、絵を描く自信が年々失われているんだ! いくらツイッターから自分を鼓舞するツイートを見つけて来ても、それ以上にかつてオレを叩いて来た連中の声に打ちのめされ……。悪い事に引きずられるオレの悪癖がそうさせているんだろうけど、辛い。どうにかしなくっちゃなあ。

 と言うか、ブログ記事を書く時間を、絵を描く事に回した方がいい気がして来た。なぜそうしないのか。最初に書いた事と被るけど、絵を描こうとすると頭が働かなくなるのよ。最近はブログやツイッターで書き物しようとしてもそうなる、単にヤキが回ったのかも。