走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

再登場による値崩れ

 ウルトラ怪獣(に限った話ではないが)は、再登場やバリエーションが増えたりすると、最初に出た時の強さなどが大きく値崩れする事がある。いい例がゼットンとグランドキングだ。視聴者に強烈なトラウマを植え付けた怪獣の再登場が難しいのも、最近のスタッフがそれを心得てるからかも知れん。いえね、「再登場による値崩れ」が、ウルトラマンレオの円盤生物シルバーブルーメで起きてくれんかなと……。あれ、個人的にはゼットンやムルチのそれより思い出すの辛い話だもんで……。前述のグランドキング、最初の頃は「胴体がシルバーブルーメ」と言う話があったけども! 「けども」じゃないか。

 ここから、反対にシリーズ作品の長期化を予測し得てなかった頃の特撮・アニメスタッフの「ヒーローのずさんな扱い」に話を向けようかと思ったけど、やめた。上手く繋がらねえもん。ひとつだけ言うなら、完全に金のためと割り切ってか、平気で第二期ウルトラシリーズの脚本において主役のウルトラマンをやたらにバラバラにしたり首を刎ねたりした石堂淑朗の態度を憎々しいと思うべきなのかと。「金のためにとインパクト付けようとして、酷い話を垂れ流す」事をした罪は重いが、割り切りの潔さを評価……せんでいいか。あんな奴を評価したら、心が「ネトウヨ」になる。それは「口が埼玉になる」より恐ろしい……。ちょっと余計な事を言ってしまったが、創作者の端くれとなった今では、脚本家としての石堂への評価は揺らいでる*1のよ。今や世代をおそらく三代はまたいでいるヒーローとなったウルトラマンに、石堂が泥を塗った時期があったのは否定出来んが、生活のために脚本を書き飛ばす事はどうかと言うね……。それに特撮ヒーローもの自体、かつては「子どもが一回こっきり見る」のを前提に撮っていたフシはあって、それを思うと石堂の態度を彼個人の根性曲がりに帰結出来ん気がして。

 「ウルトラシリーズにおける怪獣の再登場」に話を戻そう。いわゆる「ニュージェネレーション」の世代になるまでの作品では、最初の『ウルトラマン』における怪獣の再登場率が意外と高い。それは『ウルトラQ』の怪獣再登場を考慮していたなど、制作背景に原因があるのだが。さておき、それで再登場の頻度が高かったバルタン星人やレッドキングは、作中ではそんなに前述の「値崩れ」はしていないんだよね。怪獣が大看板であった時代と言うのもあろうが、ちょっと考えてしまう。最近になって、そこら辺の事がもやもやとはしているので……。

*1:論客としてはまったく評価出来ないので、心が「ネトウヨ」になるとまで言ったけれど……。