かつて、ゲーム誌の読者欄のイラストコーナーからオレの好きなキャラの絵が減っていった時「こうなったら自分で描くしかねえ」と少しでも思ったのが今も絵やマンガを描いている原因なんだが、なんで「自分で描くしかねえ」と思ったのか? を考えてみた。まず「仮にゲーム誌の投稿人に描いてくれとねだっても、向こうがオレのために描く義理も何もねえな」と言うのが先に立っていたのだ。「ねだっても得られるとは限らない」と言う感情があったんですな。それならさっさと絵を描く事をはじめてりゃよかったものを、当時のオレは「絵を描くと、悪い事が起こる」と言うジンクスを信じ込んでいて、実際に絵を描くまで時間がかかった。「何をいちびっていたのじゃ、当時のオレは」と長らく思っていたけど、そのジンクスに固執したのは、家族の無理解により萎縮していた故な気がしないでもない。落ち込んでいたら家族に「死ぬんなら、勝手に死ね!」とか「俺に悩み事を持って来るな」とか言われて「自分の事は自分でするしかない」と言う気持ちが強くなってたのも事実だが、絵描きの実践まで紆余曲折があったのが悔やまれる。それが何かは詳述しない、いくら言っても過去がオレの都合のいいものになるわけじゃないもんな。
「自分の事は自分でするしかない」と言う気持ちが、自分の楽しみを自作しようと言う方向に向いたのなら、いい事だとは思う。DIY精神ですかね。最近は絵を描く事に不安があった*1けど、ちょっと原点のひとつを確認したら、不安に対峙出来るように。思えば「絵を描く事で起きたいい事」も多いし、助かった。と言うわけで、気持ちも新たに創作が出来る。下記記事できつい事を書いたが、オレの強がりの癖だと思ってくれ……。そんな強がりをせんでも、創作は出来るんだし……。
さて、この記事を書いている時は風呂を沸かしているんだが、沸いたら風呂入ろう。
*1:これも詳述しない、言ってどうにもならなかった話だし。