走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

記録としての絵を描く事とか

a-katu.hatenablog.com

 上記記事を読み返していて、ふと思った。オレが「誰にも見せない絵」を描く事に疑問を持っていたのは、自分のための記録としての絵を描く事を軽視していたからかも知れない。もともとオレの家族も日記みたいなものを付ける習慣はなかったし、むかしはオレ自身も、本音などを「残る形で」記すのを恐れていたし……。それが「誰にも見せない絵」を描く事をためらわせていたとしか。「マンガ家になりたい」と思ううちにラフスケッチなども溜まり、ネットで文章を書く癖が付いてから、中学時代よりは遥かに筆まめになったけど。

 本音などを残る形で記すのを恐れていたのは、それを他人に見られたら酷い目に遭わされると思ったからだ……。しかし、人は忘れるものだから、記憶に頼らず記録が必要な事もある。だから自ら記録するのには大いに意味があり、前述の「誰にも見せない絵」も、のちの自分を助ける事だってある。デジタルもいいが、日記帳やラクガキ帳も大切にせんと。いえね、過去の自分に助けられた格好になった事があって。私的な事なんで、詳述せんがな。オレも「私事(わたくしごと)」を軽視せんようにしよう、公表出来んような絵やマンガを自分のためだけに描いたっていいじゃないの。のちの歴史家が発掘するかも知れんが、その時オレはこの世にいまい……。かつて、人から「誰にも見せない絵」を描くのもありと言われた時は「オレの絵は見せる価値なしって事?」みたく取ってしまった事があったが、そうでなく「自分のためだけの絵」を描くのもありだと言いたかったのかもね……。書いててだいぶ気が楽になった、やっぱり世の中を悪く取りすぎてたんじゃ。