走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

自分を責めるだけなら、考えない方がいいかも知れない

 何度も何度も何度も何度も、性的な意味でのさみしさに悶え苦しみ、その度にブログ記事を書いたが、それが「お前自身の選択の結果だ、あきらめろ」と言う自己責任厨臭い考えに陥り、自分を責めるだけなら、考えたり書いたりしない方がいいかも知れない。いや、それで自己責任厨臭い考えにならなくなる保証もないが。オレは世の中の自己責任厨を、一匹でも多く地獄へ叩き落としたいはずなのに、なんで色恋の事になると奴らに近い考えが出るのか? いやでいやでしょうがない。色恋を、「個人的な事」と矮小化しちまってるのか? 相手のある事をそんな風に矮小化するのも、どうよ? それとも、まだ宗教に走った頃の、恋愛軽視を引きずっているのか? オレには自分がないのか? ……考えれば考えるほど、色恋に関する自分のなさを思い知ってしまう。だから苦しいんだが。マー、恋愛と性欲は別物とみなす事も出来るから、あまりごっちゃにするのは精神衛生によくないのかも知れないけど。

 性的な意味を抜きにしても、ひとりでいるとさみしくなる事が増えたが、それなのに他人が怖い時もある。オレはなんなんだ。こう言うのって、エヴァンゲリオンに出て来た「ヤマアラシのジレンマ」なのか? ……ごちゃごちゃ考えるのやめとこ、人間関係に何らかの不安があるのは当たり前の話だし。オレはそれを克服する経験が、年齢のわりに少ないだけだ。だから時折、自己嫌悪に陥るんだが。しかしなー、オレの人生では人間関係を築く機会が少なかったんだよね。それは「自己責任」で片付くものではないのに、なぜ色恋と言うか性的な話では自己責任厨臭い考えを。そこまで行かなくても、「たられば」なのかも知れないが。なんで今頃になって、「たられば」が出て来るのかは疑問だけど。たぶん前述の、人間関係をキチンと築いてなかった事への後悔が大きいんでしょうなあ……。ならば考えない方がいいのかも知れないけど、苦しい思いをしているから、どうしてもね。これだけ書いたら、なんか落ち着いた。また苦しみ出したら、ブログで同じ事書くだろうけど。