走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

むかしのひとは、えらいなあ!

a-katu.hatenablog.com

 前に浮田幸吉について上記ブログ記事で書いたが、幸吉のエピソードは、ジャガーバックスだかモンキー文庫だかに載っていたのを読んだ事がある。それを読んだあと、親が「むかしは、むかしは」と言うのが、うざくて仕方なかった。今は「むかしの人が幸吉のようなチャレンジャーばかりと言うわけでもなければ、幸吉を罰した連中のような愚か者ばかりと言うわけでもない」と、思っている。だから、少しずつ世の中はよくなっていったとも思ってもいたが……。今はそうも言ってられない気が。格差社会がシャレにならんとか、もろもろで。惟任さんが亡くなる前に、格差の広がりについて話をしようとしたら、「格差があっても、むかしのそれよりは遥かにマシだ」と取り合ってくれんかった……。あの時惟任さんに、「かつて、格差や理不尽を是正しようとした人たちの行いが、今また格差が開く事で台無しになるのではないか? その意味ではむかしより性質が悪いのでは……」と言えばよかったか。いや、彼も言い出したら聞かないところあったからなー。

 話を浮田幸吉に戻して。幸吉は飛行を試みた事を「不応為条」……人のしない事をしたと言う罪で、住んでいた岡山を所払い(追放)になった。これはかなりキツい刑である。今よりずっと移動が厳しい上に、素っ町人にとって生まれ育った土地との縁は重要な時代にこれでは。しかし今も、幸吉を罰した愚か者程度の見識しかない連中は少なくない気がする。ツイッターとか見ていると。この記事の題名は、原作版『サザエさん』のカツオの台詞から取った。むかしの幸吉を罰したような不見識な連中と、それを崇めるように言う現代の連中への皮肉のために。しかし、幸吉を罰した頃と人の心があまり変わってないのなら、幸吉のようなチャレンジャーや、前述の「格差や理不尽を是正しようと戦った先人」への敬意として、「むかしのひとは、えらいなあ!」と言った方がいいかも知れん。むかしの人が、チャレンジャーや戦った先人ばかりでも、不見識な愚か者ばかりでもないと言う事を踏まえて。