Twitterの「誤解されないように過剰に防衛的に予防線を張っている文章」に慣れると、たまに本を読んで「読んでいる人間のことを信じている文章だ……」と感動する。
— ぼたもち (@kbtyskvit) 2023年5月27日
このツイートに思うところは、まず題名に書いた事が来る。しかし世の中、もう自分の気に入らない単語に耐えられない者が(オレも含めて)うじゃうじゃいる*1状況では、ツイッターなんかはどうにもならんがな。それでも、読者を信用して書かんといかん場所は本以外にもあるわけで……。「自分の気に入らない単語に耐えられない者」うんぬんを持ち出したのは、気に入らない話題どころか単語にキレて炎上を図る連中がいるんじゃないかと思ってたところに、最初に引用したツイートを見たもので……。
こう言う話になると、亡き友「惟任さん」との確執のひとつを思い出す。石堂淑朗の「気違いは抹殺されなければならない」と言う言葉を批判して、話を進めようとしたら「抹殺」と言う単語に彼がキレて、流石に「オレが言ったわけじゃない、そう言ってる者がいると言う話だ」と反論しても「それでも、使うな!」でしたからね。正直、これでは何も議題に乗せられない。こう言うのが、彼だけの問題に留まらず、声のデカいネット民などの問題になってたとは……。惟任さんの件以外にも、話し合い以前に共通前提を確認する事すら危うい連中を何人か見てしまっては、一見の読者や閲覧者を信じて話すなんてトテモトテモ。だがネットはこんな使い方のためにあるわけじゃなかったはずだ……と言うのも、希望的観測が過ぎると言われそうだけど。それに前述のとおり、オレだって気に入らない単語への耐性が、だいぶ落ちているし。とは言え、惟任さんの二の舞はしとうないが……。
いかん、腹減ってる時に気が滅入る話題をぐずぐず書いてしまい、どうにもならなくなった。この記事ここで終わる。