走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

3日沈黙していた理由(わけ)

 オレが3日間ブログ書いてなかったのは、いろいろげんなりしていたからだ。石原慎太郎の死とかに。あいつは好かんが、唾棄するのもめんどくさかったんだ……。それは亡き友「惟任日向」のせいなんだが。彼はどう言うわけか、オレが石原を批判する度に滅茶苦茶な事を言って煽って来た! それに耐えかね、石原批判をネットでやるのがめんどくさくなったのを、ずっと引きずっていた。「そこまで言うなら、惟任さんとやらの事、亡き友と言わんでも」と言われそうだけど、彼がオレにネットの広い世界を教えてくれたりしたのを思うとね……。

 惟任さんからの煽りを思い出したのがきっかけで、自己嫌悪や世間への恐怖が噴出して、ネットで「答えのない早押しクイズ」をするのも嫌だったんだよ! 惟任さんも罪作りな……。マー、彼は悪い意味での一般大衆なところがあったけどにゃー。石原慎太郎と言えば、オレが統合失調症で働けなくなり、最初に入った呉市の作業所の所長が、石原の小説の下品な描写を話しながらゲラゲラ笑っていた事が……。そんな話聞きたくなかった! その所長との折り合いの悪さから、作業所と言う場や、オレ自身も含めた障がい者そのものへの嫌悪まで抱えて苦しんでいた時期が長かった。作業所はともかく、障がい者への嫌悪になんで発展したかって? その作業所の利用者が、件の所長に叛旗を翻さなかったからさ……。自分たちを侮辱している相手に何も出来ん連中なら、オレも含めて死んでしまえと言う、極端な事を考えた事もあった。件の所長は利用者の頭を杖で小突くとかおもちゃみたいに扱うやら、そこまで言って委員会を「面白い」と言うやら、森昭雄の「ゲーム脳」を信じ込むやら、酷さのオンパレードだった。当時、今以上に自分に絶望していたのもあって、かなり参った。その作業所を辞める数か月前には食も細くなってたし、今になって思えば相当追い詰められていたんやなと。自暴自棄もあって、すぐ辞める事が出来んかったのは残念。石原の死に伴う惟任さんの思い出から、最初の作業所の事を思い出したり、今の自分に疑問が出た*1りして、物を言うのがおっくうに……。ううむ。

 これを書いてる今だって、決して明るい精神状態じゃない。生前の惟任さんからの煽りのせいで、石原慎太郎に対する意見や論評を書く気になれない*2し、なによりネタがない。趣味で絵やマンガを描くのが難しい日もあったしねえ。そのため、自分はもう何も出来ないんじゃないかと言う絶望感まで出て、辛い過去が芋づる式に脳裏を……。くっそー。

*1:詳細は上手く言語化出来ねえけど、自分がやってる事は自分が思ってるより大した事ないんじゃないかと言う不安が出たのだ。

*2:前の段落までで書いたのは、石原の死で思い出した事でしかない。