校正・査読のない相互発信社会は、知りたくない人の知りたくないところを知ってしまえるから寂しいね。
— 白樺香澄 (@kasumishirakaba) 2019年4月26日
以前オレが「ボツのないファンロード」問題を話した時と似たような事言ってるね、このツイート。それはいいとして、ボツとか校正・査読と言うある種のフィルターは、意外とオレたちを守っていたのかも知れない。誰ぞがむかし「ネットは、マスコミのフィルターを通していない情報が手に入る」とか言っていたけど、それも良し悪しだなあ……。むかしだって、マスコミのフィルターがオレたちをミスリードしていないわけじゃなかったけど、今のネットに渦巻く悪意には辟易としている。
悪意?
悪意?
悪意ちゃんよく聞けよ、山男にゃほーめーへめめー! ほれたーれ、めめまー! やすだとーにゃ、かめはめはー。
……またこれかよと言われそうだが、悪意について考えるのが辛くてね。とは言え、ネットもインフラとして無視出来ないものになっちまったので、悪意とも向き合わねばならない。仮に逃げたら逃げたで、ネット上の悪意に後ろからバッサリだしなあ。
オレが悪意に辟易しているのは、悪意とケンカしたってこっちになんの得もないからだ。と言うか、最初からオレの事みんな無視してやがる。だからツイッターで発言するのが辛いんだが……。