ヤハリ今のオレには、世の中の理不尽や嫌いなもの(者でも物でも)に切り結ぶ力はないのかも知れない。それ以前に、異見に耐えられない。
「独断の狂気に陥らないためには、不快であっても多様な批判的意見に開かれてあるべきだ」という話もわからなくはないんだけど、とはいえ私たちはツイッターで、「仲間うちのサークルに籠もっておかしくなった人」と同じくらい、「多様な批判に応答し続けたせいでおかしくなった人」も見ているからな。
— ニー仏 (@neetbuddhist) 2019年2月11日
残念ながら世の中には、「話し合い」をやればやるほど、ますます相互にヘイトが増幅するだけ、という種類の関係やコンフリクトがあるもので、そういう場合には無理に「相互理解」を追求せずに、戦争にならない境界線だけを決めて、さっさと対話を終了するほうが賢明な選択になることもあると思います。
— ニー仏 (@neetbuddhist) 2019年2月11日
上記ふたつのツイートの上の方にある、「多様な批判に応答し続けたせいでおかしくなった人」がオレだ。直接言われたわけじゃないが、ツイッターに流れるさまざまな異見(意見ではない)に振り回されてしまい、消耗したっつーか。ヤハリ相容れない異見はシカトしていりゃよかった、それが出来なかったばっかりに。「どこかに、相互理解が出来る相手がいる」と思っていたオレが甘かったのか……。
それと、無理に「相互理解」を追求しないと言う点に関してだが、オレも理解者を求めるあまり暗い過去をあれこれ書きすぎたかも知れない。オレの暗い過去を言えば言うほど、みんなドン引きしたかも知れないし。結局人は分かりあえないまま、その場その時の利害や打算で繋がるしかないのかも。悲しい話だが……。オレもこんな事は言いたくない、しかしオレが経験した事や失敗から考えると、こんな悲しい話に。あるいは、ネットにより人が扱える情報の量が激増して、みんなあっぷあっぷになっているとか。だからいろいろ、衝突が顕在化してばっかりだったりして……。これは前述の、「さまざまな異見に振り回されてしまい、消耗した」と言う言葉にも繋がって来るんだけど。
いくらオレが何を言っても、最初に述べた通り世の中の理不尽や嫌いな者や物に切り結ぶ力がない上に、言う事がバズったりもしないから、オレのストレス解消以外にほとんど効能はない。しかし、何も言わないでストレス抱えているのはもっと辛い。またしばらく、こんな調子だろう。