人に惚れるってことをやたらと否定的に語るの、その暗黒面に対する戒めでもあるのだろうけど、自分が自分らしくなくなることへの怯えみたいなものに迎合してる面も感じられて、あまり乗れないんだよね。一部の人の宗教への激しい忌避感情に対して感じるのと似たような感じがある。
— ナょωレよ″丶)ょぅすレナ (@rna) 2019年1月24日
自分は自分をコントロールできないといけない、常に自分らしく自分を律しないといけない、みたいな思い込みに捕らわれているんじゃないかと。恋愛とか信仰に対する冷笑的な態度見るとそういうことを考えてしまう。
— ナょωレよ″丶)ょぅすレナ (@rna) 2019年1月24日
このふたつのツイートを見て、いろいろ考えた。オレも信仰を全否定出来るほど、宗教を知っているわけじゃない。ないが、自ら関わるのはやめとこうと思うのと、性質の悪い宗教が近付いて来た場合は、津波と一緒で全速力で逃げるしかないと思うのとで「全ての宗教はフィクションであり、実在するあの世やカミサマとは一切関係ありません」と言い続けていた。それが場合によっては信仰への冷笑に見られるのかと思うと、かなり気持ちがゆらぐ。別に引用ツイートをした人にそう言われたわけじゃないけど、オレの信仰に対する複雑な気持ちがまだ言語化出来てないのかなと……。
もうひとつ、恋愛に関してである。色恋沙汰に縁がない人生だと思っていたが、思い返せば惚れたり携帯でメールのやりとりした事はあった。惚れたばかりに金づるにされて、酷い目に遭った事もあるが……。宗教の件にしても惚れた件にしても、「自分の人生に、あの時間はなかった!」と思っていたから、引用ツイートの指摘するように冷笑臭い事を言っていたのかも知れない。オレはテロと冷笑は世の中を明るくしないと思っているから、考え直すためにこの記事を書いているんだけど。
しかしながら、オレは別に恋愛を冷笑しようとは思っておらん。そう見えるんなら態度を改めようと言っているだけで。人様の惚れたはれたに、首を突っ込もうとも思わんがな。