即位の礼の時の虹を吉兆とし騒ぐ者への違和感が、下記のツイートで判明した。
即位礼正殿の儀で虹が出たとかはしゃぐのが気持ち悪い、日本人は充分宗教的ではないか(気持ち悪い)、というツイート見ましたが。増税とか災害とかでいよいよ神頼みしか出来なくなってきたんだなあ、としか思えませんでした。
— おかざき真里『阿・吽』10巻10月11日発売 (@cafemari) 2019年10月23日
ああ、31年前のオレみたいなもんか。それで違和感と同時に、近親憎悪が出たのかも知れない。言語化出来んかったけど、個人的な感情だったのね。それを認めた上で、あの虹はただの自然現象でしかないとあらためて言う。客観的な状況は、決して神頼みではよくならんからのー。確か、「空腹な者に魚を与えれば一食分になるだろう、釣り竿を与えれば一生の糧を得るだろう、宗教を与えれば魚を求め祈りながら飢え死にするだろう」みたいな言葉もあったはず。正確な引用ではないけどな。オレは宗教で下手打ったから、どうしてもこんな事を考えてしまう。下記ツイートを見ても、だ。
街中でたまに見る怪しい宗教勧誘、あれ実は布教が目的ではなく、信徒に疎外経験を積ませることでより強く教団に帰属させるのが目的らしいんですよね。この話を知ってから、むやみに人の信仰を否定するのはやめようと強く思った。
— 小山晃弘 (@wakari_te) 2019年10月16日
人の信仰を否定したいわけじゃないが、神頼みは現実的な問題解決策にはならんのも事実だ……。