何度か言ってるけど「多様性」に関しては、都条例の時の右的な押さえつけはもとより、昨今は左のPC観点や海外からの教条的な押さえつけが気持ち悪くなってるから、もう右も左も信用できない。唯一「表現の自由」で腹を括ってる方のみ、僕が思うリベラルの最後の砦として信用に足ると思ってます。
— 森田崇@怪盗ルパン伝アバンチュリエ電子版配信中 (@TAK_MORITA) 2019年7月22日
森田崇さん、あなたはオレか? 「表現の自由」に重きをおきすぎな気もしないでもないけど、前から、どこもかしこも「多様性」と称して、自分たちの好みの価値観を押しつけあってる様相には疑問があったから同意するしかない。だってみんながみんなそう言う事をやり出したら、結局力のある右派の勝ちは目に見えてるもんな。これを事あるごとにこのブログで訴えて来たが、まだ言い足りない気がする。正直、決していい状況とは言えないのだが、それがイマイチ伝わっていないもんな。不本意だが、ツイッターも使うしかあるまい。いえね、ツイッターで迂闊にものを言うと、「自分の好みの価値観を、世の中の中央に据えようとする殲滅戦」に参戦する事になりかねないので。そんな戦い、オレに勝機がありますかい!? 今はまだ、ツイッターで消耗するわけにはいかんし。だいたい、容易にブロックが可能なツイッターで、腰を据えた議論が出来るものか。と、ここで下記のツイートを読んでもらいたい。
左派のやらかしって、右派は弱いものイジメだけど左派は強い者に抵抗してるだけ、みたいな油断があって調子に乗って他人の足踏みつけて気まずくなるパターンで、右派の場合は最初から身内以外に配慮する気ないから一貫している。
— ナょωレよ″丶)ょぅすレナ (@rna) 2019年7月23日
そう、オレが言いたい事もだいたいこれに近い。と言うか、なんでこう言えなかったんだオレは。言ったところで、顧みられる可能性はどうだったか分からないけど。なんでこうなんでしょうね? それはともかく、左右ともに同じ主張をしていたら、なりふりかまわない右派に軍配が上がるのは必定! だからそれはまずいと訴えたのに、聞いて欲しい左派から何の反響もなかった。悲しい。