これが「連帯責任」。生徒も、教員も、校長も、みんな連帯責任で関係ない人を痛めつけ、責任の所在を曖昧にする。個人が自立的な倫理を生きることを禁止し腐敗をもたらす
— 内藤朝雄 (@naitoasao) 2019年11月24日
神戸市、全校長の賞与増見送り…教員いじめ「理解得られぬ」 : 国内 : ニュース : 読売新聞オンライン https://t.co/odWpHEYMyE
この件に限らず、日本人の「個人が自立的な倫理を生きる」事を嫌う癖は、なんとかならんものか。オレは長らく右派より左派が「個人が自立的な倫理を生きる」事を奨励していると思っていたが、ツイッターでの左派っぽい事を言う者がそうでもない事を目の当たりにして途方に暮れている。「お前は、なんでもかんでもツイッターを根拠にするんか!?」とお叱りを受けそうだが、呉にいる時はあまり人と接してないから、つい。と言うかさあ、道徳保守やパターナリストの方が「自立的な倫理を生きる個人」より押しが強いから、極論が悪目立ちするネットでも強いのよ。人間、いつもいつまでも磐石ではないから、自立的な倫理を生きるのは難しいし。オレがオレ自身を含めた、自立的な倫理に生きられない者を毛嫌いしているだけかも知れないけど。
「自立的な倫理に生きる」ちうのはどう言う事かと説明するのは難しいが、「寄らば大樹の影」な生き方をせず、いじめやパワハラなどで結束しないとか、そう言う意味でオレは解釈した。日本では、すっげえ難しい生き方じゃん! でも、そう出来る者を増やさないと、日本ぐだぐだになるで……。もうぐだぐだになってるよと言われそうだが、その底を踏み破って、もっと下に行くと言うか。と、言ったところでこの記事終わり。話の続けようがない。今回はあくまで、問題提起だけにしとく。話が続けば……って、なかなか続かないんだよなあ。