走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

性的な表象を取り入れた絵を描くのは確かに気持ちいいが、だからこそ恥ずかしい

 題名の「性的な表象を取り入れた絵」とは、エロ絵とは限らん。脱いでなくても、例えば「ブルマ姿の女の子」とか「スクール水着の女の子」とかな。だいたい察してくれ。オレが性的な表象を取り入れた絵を描いて感じるのは、題名にも描いたように気持ち良さと恥ずかしさだ。前者はともかく後者ですよ、これを感じるのは「羞恥プレイ」に似た感情なのか、ツイッター上の自称左派・自称フェミニストの横槍のせいか。あるいは「気持ちいいからこそ恥ずかしい」のか。

 上記みっつのそれぞれに理屈をこねる事は出来るが、今その気になれない。ふたつ目の横槍うんぬんにしても、何度も「あんたが直接言われたわけじゃないでしょ」と、人から言われているし。そのため、肝心の消化吸収が阻まれていたのです……じゃなくて。そのため、あまり突っ込んだ話をする事が。言われてみれば、その通りと思って。ただねえ……。自称左派・自称フェミニストの要求も、過大になってはいないかとは、ちと思う。行きつく果ては「マンガ読むなアニメ見るな」*1になりそうで。実際言ってる左派もいたし。名前は出さんけど。話を戻して、オレはどんどん性的な表象を取り入れた絵や、直截的なエロ絵を描く時にもやもやするようになった。前述のみっつの理由か、あるいは肉体的に衰えて若い時なら性欲に繋がっていたのが繋がらなくなり、もやもやを抱えるようになったか。うーむ。

 さらに言うなら、かつて宗教に引っかかった時期に「性的な絵を描いちゃいかん!」と思って苦しんだのが、今になって古傷としてうずいているのかも知れん……。あの頃はしんどかったし。待てよ、それらはどれも決定的な理由ではなく、それぞれが相互作用を起こしつつオレに影響を与えている可能性だってあるが、さらにひとつ付け加えさせてもらうなら、オレが女性に「犯らせてくれる母親」を求めている自分に忸怩たるものを感じているのも「性的な表象を取り入れた絵を描くのは確かに気持ちいいが、だからこそ恥ずかしい」感覚に繋がっているのかも知れんと。かように、性的な絵を描く者もいろいろ苦悩はしてるんですよ……。それは分かって欲しいと、誰に対してでもなく言って終わりにする。

*1:それは当然「描くな」にも繋がる!