走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

恋愛をあきらめるんじゃなかった

 この年になって「恋愛をあきらめるんじゃなかった」と、つくづく思う。宗教に走ったばっかりに、宗教から離れても人間関係が上手く築けなかったばっかりに、寂しい人生を送る破目に……。繰り言は聞きたくないって? オレだって言いたくない。だが、この頃感じる寂しさは、どうにも埋め合わせが出来ないので。だいたい、ミソジニーむき出しな事をオレに言っていた兄貴が恋愛結婚して、ミソジニーと言う言葉を知らん頃からそれに疑問を持っていたオレが独り身なのはどう言うわけ? 女性に接する機会の差か、オレの性根が兄貴より腐っているのか。マー、女性に接するどころじゃない人生を送っていたのも事実だし、数少ない接触の機会があった女性とも上手くいかなかったし。

 ただ、ひとりで生きるしかないと覚悟したから、表現規制に反対出来たりした気もするけど。私的な幸福より公憤を燃やす事を選んだなら、「それはそれで一種のサムライ!」と、梶原一騎みたいな事を言いたくもなるが。いや、表現規制に反対しながら恋愛する事だって出来たような。オタップルだって、珍しくないご時世だし。ヤハリ宗教に走った時、恋愛をあきらめたのがケチのつきはじめだったのか、それ以前の中学時代から、男子どころか女子にまでいじめられて来たから、そもそもオレの星巡りが悪かったのか……。いくら考えてもキリがない。だいたい、今年は悲観を廃するんちゃうの? 人生を振り返り「あ~あ」となるのは悲観とは違う気もするが、しんきくさい事言っていても人生面白くないもんなあ。ならば肋木(ろくぼく)にぶら下がっていた方が、まだ面白いわ……って、『いだてん』ネタかよ。