走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

30年と20年

 今年、2019年は節目の年である。絵を描きはじめて30年、キャラショーのバイトに入った時から20年。それぞれ言いたい事はあるが、絵の話はずいぶんして来たので、あまり語ってなかった後者を、関係者の報復がなさそうな範囲で語ろう。

 だいたい、事のはじまりからして兄貴の友人が所属していた、とあるキャラショーのチームに誘われたのは兄貴だった*1んだ。それがギリギリになって「バイト中事務所に雑魚寝と言うのはオレには無理だわ、お前代わりに行け」と言う話に。乗ったオレもオレだったが……。それが苦労のはじまりで、交通費自費で事務所まで稽古に通うようになり、他にもバイトをしたりで、かなり参っていた。自尊心なんか、ぼろぼろに擦り切れましたよ。

 前にも言ったかも知れないけど、その間絵やマンガを描く余裕もなくなり、自分が何をやってるんだろうかとか、何をやりたいのかとか考える余裕もなくなってしまった。その後、呉で就職したりして、キャラショーのチームから抜け出したけどな。関係者からの報復を避けるために、簡単な話しか出来ないのは勘弁してくれ。しかしよく考えたら、兄貴がその友人に「俺も弟も、稽古に割く時間がない。悪いが断らせてくれ」との一言でも言えばよかったんでないかい? いざとなったら、オレをカプセル怪獣のごとく投入すればいいとでも思っていたのか? そこまで見抜けなかった、当時のオレもオレだが。

 それにしても、だ。あの頃あのバイトをやっていたから、金にはならなかったものの、その後就職出来る程度には矯正されたのではないかと思っていた。しかしだ、本当にそうだったのだろうか? と言う疑問が今になって出て来た。もっと楽と言うか、軟着陸みたいな道があったんじゃないのか? と、思えてならない……。と言うか、1997年から1999年までは、あまりにもあまりにも辛い事が多く、東京のコミケに行けた以外楽しい事はなし。思い返すのも辛いが、節目の年になっちまったので、つい……。て言うかさあ、親兄弟がオレにいろいろ要求して来たのもおかしい。オレはオールマイティじゃねえ! としか。家事をしろ、パチンコで勝て、仕事を覚えろ、俺(兄貴)の代役を完璧につとめろ……。そんなに、あれもこれも出来ますかい! オレも、親兄弟にそれを言えばよかったか。でも、聞いてくれなかったろうなあ……。これ以上は、悲しくなるだけなので、この辺で!

*1:しかし、兄貴が稽古に行ってた形跡はなし。