走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

共感を得られそうにない感覚

 今期の『ゲゲゲの鬼太郎』、西洋妖怪編の『運命の魔女たち』で、バックベアードの支配する世界は、バックベアードを恐れて生きなければならない世界だと鬼太郎は言い、「僕は、嫌だ」と宣言する。しかし今の世の中、そう言う世の中に迎合しようとする連中が多い。そんな連中にとっては支配者がバックベアードであろうと、ビッグブラザーであろうと、安倍晋三であろうと、天皇であろうと、習近平であろうと、金正恩であろうと、ウラジミール・プーチンであろうと、ドナルド・トランプであろうといいのではなかろうか? なにせこんな話もあるしねえ。

「軍事政権だって、いいじゃない」という学生たち:朝日新聞GLOBE+

 また、そんな世の中ではスタッフも本気で鬼太郎の台詞を支持していないんじゃないか、はなはだしきはバックベアードに勝たせたいんじゃないか? と不安になってなあ。いえね、今期鬼太郎は今まで散々ひねくれた話を連発していたので、つい……。それだけならまだいいとしてですよ、「こんな風に不安になるオレは、もしかしてスタッフにバカにされているのではないか?」と言う疑問まで。

 上記の不安や疑問のようなものは、今回だけに感じるわけではない。人生でいろいろな作品に触れて、世の中の創作者の少なくない数の者は、勧善懲悪を描く事も喜ぶ者もバカにしているのではないか*1と言う不安が出て来た。また、「オレの事をバカにしているのではないか?」と言う疑問は、たとえば『銀河ヒッチハイクガイド』の冒頭にも感じた。いや、宇宙人が地球を爆破するんだけど、中止して欲しいならその前に一言言ってくれと言いながら、その告知は地球人には行く事の出来ない他の惑星に出されていた……。こう言うのをエスプリだと思う人もいるかもだが、オレにはなんかバカにされているような気になって。だから『銀河ヒッチハイクガイド』は、その先を知らない。その他にも、創作者にバカにされているような感覚におちいる時が。それはどんな作品か、いちいち列挙する気になれんけどな。もしかしたらこれも、統合失調症の症状かも知れない。だが、そう言ってしまっては、本当に素で受け手をバカにしている奴がいた時どうしたらいいか分からなくなる。それにオレがバカにされたように感じた作品へのアンチテーゼになる作品をどう作ればいいか模索したのは、精神科に通うより前*2からだし。だが、アンチテーゼになりうる作品は、ひとつも作れなかったようだ。オレには、そんな技量はなかったみたいね。

 アンチテーゼになりうる作品と言えば、こんな事もあった。『カイジ』の兵頭会長がカイジに勝利したのを見た時、「このマンガは、カイジがひたすらドツボにはまる姿を見せつけられる物語なのか? だとしたら読むのが辛い……もうやめとこ」と思った。しかしどうも世間では受けがいいし、日本財団が「社会」の学習マンガになるみたく言っていたりして、その現状に違和感が出て来た。なので、アンチテーゼにならんかと下の絵を描いた。*3

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 上の絵はpixivなどにも挙げた、『カイジ』の兵頭会長がオレのオリキャラ「ビクトリーガイ」の光線技で脳天ふっ飛ばされる絵だ。これを描いた時は結構気持ちよかったし、「鯰絵」のような効果もあるかと思った時もあった。でも、ヤハリ思い直したんだ! こんなやり方では、『カイジ』へのアンチテーゼにならない! もっと別のやり方があるんじゃないか? と……。別に『カイジ』に対抗して、ギャンブルものを描きたいとか言うんでもないが。

 そういや、現実に受け手をバカにする創作者はいろいろいたな。高飛車に受け手に説教するアニメや映画の監督*4とか、下記記事に出て来るヘイトスピーチかました作家とか、その下の記事で触れた「どげざ」とか言うマンガ家とか。

a-katu.hatenablog.com
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 オレが過去に取り上げた両者とも、ヘイトスピーチかました相手の中に自分の読者やファンがいるかもとは想像出来なかったみたいで。たとえどんな民族でも、おたんちんでも、ウヨでもサヨでも、読んでくれる相手には揉み手のひとつもしなければならないのがこう言う商売なのではないかと思うオレがおかしいのかな? ヘイトスピーチと創作と言えば、今の青林堂で出しているクソ雑誌のクソマンガ二本(名前も出したくない)が、クソみたいな理由で連載中止だってね。マンガでヘイトスピーチしている時点で、作者は特定の民族をバカにしているんだが、問題はヘイトスピーチに否定的な左派である。青林堂のクソマンガへのアンチテーゼとして、マンガを描こうとしない! 滝季山影一氏は『週刊金曜日』などでやろうとしていたみたいだが、他の連中は生真面目だねえ。「真面目すぎて、融通がきかない」と言う意味だが。「こんな本読むな、置くな、流通させるな」と言うより、なんで自分たちも自らの主張をマンガにして世に問わんかなあ……。繰り返すが、そう言うのオレが描きたかったと言うのはある。これも繰り返すが、何を描けばアンチテーゼになるやら分からんけどな。魔夜峰央の『美少年的大狂言』に出て来たゴリゴリの右翼美少年「寺限丈太郎」みたいな奴を、とことんまでにやっつけるヒーローの話でも描きます? 前述のように、オレにはそんな技量ないかも知れんが。そしてそんな話が、アンチテーゼ足りうるのかも分からんけど。『カイジ』の時のように、全然見当外れだったりするかもな。

 ……こんな事を考えるのは、オレが人間不信に陥っているからかもな。それと、物語の感想を語り合える相手に出会う事がなかなか出来なかったため、いろいろこじれたとか。あと、この記事で書いた事のいくつかは、下記記事などで言及した、オレが「他人の作った物語」が怖いと言うのとも関係していそうで。

a-katu.hatenablog.com

 余談だが、『運命の魔女たち』で鬼太郎が言った事は、リチャード・ドーキンスの次の言葉とも関連しているのではないだろうか?

 神だろうとバックベアードだろうと、やっている事は同じか……。結局かつてのオレのように、絶対者による救いと言う幻想(実際は恐怖支配)にすがる者が増えたのかも。

 と、書いたところで山本貴嗣氏のこのツイートを見つけた。



 こう言う創作者がいるのなら、まだ日本の(世界のと言えるほど観測してはいない)創作界はなんとかなるだろう。問題は、「軍事政権だって、いいじゃない」と言う愚劣な連中だが。

*1:勧善懲悪だけしか認めないと言うわけではない、念のため。

*2:その頃から、なんらかの精神病を発症していたのではと言えなくもないが。

*3:日本財団うんぬんは、絵を描いたあとの話だけども。

*4:多いし、何が飛んでくるか分からないので詳述は避ける。