走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

脳内漫才

 長年人から相手にされなかったもんだから、まるで漫才のように自分の脳内でボケとツッコミを会話させ*1、孤独感や無聊と言ったものを埋めていた。他にもいろいろ想像するが、それらがむなしく、辛くなって来た。むかし想像にふけって楽しんでいたら、兄に「ひとりでニヤニヤするな! ぶつぶつ独り言を言うな!」と殴る蹴るを受けていたため、想像で楽しむ事に限界を感じて。限界を感じるのには他にも理由があるが、いちいち書く気になれん。マー、いろんな事が重なって、「誰からも相手にされないのに、ひとりであれこれ考えてもねえ」と言う諦めが出て来たと言うか。

 しかしなー、想像もしないでぼんやり生きていたって面白くないのも事実だ。「普通の人」とやらは普段なんにも想像しないと聞くが、だからいろんなところでやらかしてしまうのと違うか? スパロボLの加藤機関の雑兵じゃないが、想像しろ想像。それはさておき、いろいろな人と出会い、相手にしてもらえるようになった事で、想像と言う行為を創作のために振り分けるようになってたが、それでも完成した作品が少なすぎる。マー、脳内の想像を現実に映し出すのは、相当ホネなんだが、それをかんがみても少ない。何度も挑むうちに、創作のための力がすり切れたようだ。人生に残された時間もないので、残った力で何か作れればいいが。前述のとおり、想像そのものが辛くなったと言う事態が発生しているけど。ネットでもなかなか人に相手にしてもらえなくなって、また脳内漫才の機会が増えたものの最初に書いたとおりそれが辛くて。

 人と接する機会は減る、自分の考えをネットでもなかなか聞いてもらえない、暗い過去は思い出す、将来になんの見通しもない……。辛くても脳内漫才でしのぐしかないのだろうか? 「結局それかい!?」と、脳内のツッコミ役が早速ツッコミを。と、落としてもいいが、それでは閲覧者に申し訳がない。なんでよと言われそうだが、あまりに出来すぎていて逆に面白味がないと言うか。前述のとおり想像中に兄にどつき回されたのも、トラウマのひとつだ。それならあの頃、想像を絵に描けばよかった……。くそっ。あと、むかし引っかかった宗教が、「想像する事」に否定的だったのもなあ……。なんで次から次へと、オレの想像を邪魔する者が出て来るんだっ!? おお、天よ! 貴様に問う。何ゆえオレに、あのような仕打ちをしたのか? 心あらば答えよ、さあ! さあ! 

*1:時折オレの文章に出て来る「脳内のツッコミ役」の正体がそれだ。