国連の「子どもの売買、児童買春、児童ポルノ」特別報告者、マオド・ド・ブーア=ブキッキオ氏が、日本記者クラブでの会見で「過激な児童ポルノ漫画の規制」を日本に要求し、その箇所がBBCニュースで取り上げられ、BBC社のフェイスブックで賛同者が多数出たとか。
またかよ……。なんでこう言う事が繰り返されるんだ。愚痴ってばかりもいられないので、児童性的虐待の問題を考える上で参考となりそうな話を、これからしてみる事にする。
前に書いたこの記事には、エホバの証人内部の児童性的虐待の一例についてリンクしている。一例? そう、この件以外にも色々あるのだ。
エホバの証人に対する、オーストラリアの王立委員会の調査によって明らかになった話などについての記事がリンク先にある。これによると7万人に満たないオーストラリアのエホバの証人内部で児童性的虐待者は1006人、被害児童の数は1730人。しかもこれらが警察に通報されていなかったと言う! ちなみに王立委員会の調査は、BBCニュースでも報道された。
他にも世界中で教団内部の児童性的虐待は報告され、それに関する教団内のデータベースを、ハッカー集団「アノニマス」が狙っていると言う話もある。
言っておくがエホバの証人は、性的に放埓な教団と言うわけではない。むしろ逆だ。末端信者にはポルノもオナニーも同性愛も婚前のセックスも禁止しているし、夫婦間の性生活にまで厳しい制限を設けている。
この件から見るに、「性的なコンテンツを禁止したり、性的な行動を制限すれば、性犯罪はなくなる」と言うのは机上の空論でしかなさそうだな。また、性的な抑圧が性犯罪に走らせると言う簡単な話でもない。エホバの証人の場合は、排他的かつ内向きな教団の体質が事件に対し不誠実な対応をさせていると言える。自分たちを「霊的なパラダイス」と末端信者に言っているから、現実の問題が教団内部で起きている事を認めたくないようだっつーか。
パオロ・マッツァリーノさんは『「昔はよかった」病』のなかで、安全と安心と言う異なる概念の言葉を合わせた「安全・安心」と言う言葉が氾濫する日本の現状を「安全・安心ウォー」と名付け、同書137ページで次のように述べている。
“安心”は、危険や異物を徹底的に取り除くまで訪れません。だから安心への道は、排除の論理や疑心暗鬼、人間不信へとつながっています。
危険や異物がゼロにならないのを前提に、可能な限り平和的に共存する道を統計的・科学的に探るのが、“安全”への道です。
どちらの道を選びますか。それとも、まだ安全・安心ウォーを続けますか。
ブキッキオ氏の発言やそれに賛同する者達を見ていると、「安全・安心」と言う言葉は使ってないまでも、よその国でも安全・安心ウォーは起こっているようだな。
日本のエロマンガと言う異物を排除する事にやっきになって、世界中の児童性的虐待への具体的な対策を怠っているように見えて仕方がない。それでいいんか? 本当に。