こんなツイートを見つけた。
俺は文章や絵が下手な作者が、明らかに自分で興奮しながら書いてる特殊性癖絵や小説が好きなんだ。下手な分「こういうものを描きたい」という作り手の心が画面や文字に映るからだろう。AI絵やAI小説が増えた結果、そういう「下手な作品」が「人間的な温かみがある」と再考される時も来るのかもしんない
— どうそく (@madanaizo) 2022年8月5日
大林宣彦監督の「完璧な技術で作られたものより、不完全な技術によって作られた作品のほうが人の心をうつことがある。それは「こういうものを描きたい」という作り手の意思、つまり心が画面に映るからだ」という発言は、今後ますます重要なものになるだろう。なってしまうだろう。たぶん。良くも悪くも
— どうそく (@madanaizo) 2022年8月5日
オレは大林宣彦監督の言葉には、全面的には首肯してない。と言うのも、ある程度技術がなければ訴えたいものを形にする事は出来ないと、ここ数年で痛感したからだ。一方で「何をしたいか」があれば、技術はあとから着いてくるものだとも思うが。両方とも、サブカルビジネスセンター(以下、サブカルBC)にての出直しが関係して言ってるけど。あそこでいろんな事やってるうちにスキルは上がったので、打ち出し方など考えるべき事が、絵やマンガを描く時に増えたからな。そのスキルにしても、オレがまだ創作をしたいと思っていたからこそ身に付いたんだし。「お前は、大林宣彦より偉いのか?」と言われそうだが、創作した上での実感だよ実感! だいたい、偉い人とて全知全能ではないんだし。そもそも、オレは大林監督より偉いとも思ってないしなあ。
話を「技術」と「心」の問題に戻そう。オレの場合も、pixivに置いてある過去に描いた絵が、今描いたそれより注目されている事があり、それは引用したツイートにある「こう言うものを描きたい」が上手く出ているからなんだろう。ただ、前の段落でも述べたように、ある程度の技術がなければ、見せたいものもよう描けんのだよ。サブカルBCのスタッフはじめ、オレの絵やマンガを見たり読んだりした方の言葉からそう思う。だが、これもツイッターなどでよく言われているけど「上手くなってから描く」じゃ、いつまで経っても描く事は出来ん! 反省して言ってます! 結局「描きたいもの」が自分の中で明確になければ、技術もへったくれも……。してみると、よー33年間も描いてたなー、オレ。
引用ツイートでAIが描いた絵について話をしているが、それは稿をあらためてと言う事で。