走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

デタラメばかりだと耳を塞いでいたら、何にも聞こえなくなる

 題名はある歌の文句らしいが、今のオレにピッタリな警句だ。いえね、どいつもこいつもおかしな事言ってるように思えて、すっげえげんなりしていたけど、だからと言って耳を塞ぎ続けるわけにもいかねえのだ。さて、どうしたものか。と言うか、オレは人生において酷い目に遭いすぎて、結果だけをねだるようになってなかったかと。そう思う理由は、人間関係にしろなんにしろ、これ以上酷い目を見ないでいい思いが出来んものかと言う気持ちが強くなっていてね。それが「デタラメばかりだと耳を塞いで」しまう事にも繋がっていて。「これ以上酷い目に遭いたくない」と言う気持ちから、いろんな話を遮断しつつあったと言うか。実際のところは、人は自分ひとりだけで生きて行けないから、それは命取りな態度だったんだが。

 と、書いてから、どうにも話が続かなくなって放置していた。と言うか、題名に引用した歌詞がピタッと決まっていて、これ以上言葉を付け加えていいのかと。いや、聞きたくない事から逃れるために耳を塞ぐ事の怖さを具体的に書けばいいか。たとえば、ツイッター上の罵倒合戦にうんざりした時の事とかな。だいたい、2015年から2018年頃ですな。いやあ、あの頃は失敗した。うつ状態が酷く、セルフネグレクトも深刻だったとは言え、もうちょっとなんとかならんかったものか。人から「ツイッターやめて、他の事しなさい」と言われていたにもかかわらず「その間に、オレの好きなものを罵倒して来る連中の天下になったら、どうするんだ!」と、意固地になってツイッターにしがみついていたしな。その癖ツイッターで何も訴えようとしなかったんだから、どうにもこうにも。そりゃ「意見しても、ツイッターじゃ誰も聞いてくれないよ……」と、捨て鉢になっていたとは言え。あの頃は自分の意見すら信じられんかったんだな。結局は何も聞こえなくなりかねないくらい、耳を塞いでいたんだろうな。それはいろんな方面にも悪影響を与え、情報に呑まれる事態を招いたんだけど、しんどいのでそこは稿をあらためて。