走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

宅八郎の死に思う

 今年の8月に、宅八郎が死んでた。それでいろいろ思うところがあるので、ちょこちょこ書く。まずオレは、こんなツイートをした。

 この辺は、彼を思う度にどうにも引っかかっていたんだが、結論は出ずに彼は死んだ。嗚呼。

 あと、オウム事件での宅八郎の態度に絡んで一言。地下鉄サリン事件のあと起きた、オウム真理教幹部の村井秀夫刺殺。この顛末*1がテレビに映された時、それまでマスコミが異様な集団として見せていたオウムと、村井が刺された光景を執拗に撮ろうとするマスコミと、どっちが異様なんだか分からなくなった*2んだよ。宅が週刊SPA!での連載で村井刺殺について触れた回にも、前述のオレの違和感に近いものを書いていたんだが、小林よしのりはじめ多くの人が「宅八郎は、オウムをかばった」とだけ思って思考停止したのは悲しい。小林よしのりが現在生き残り、宅八郎が死んだと言うのも、今の時代を表していると言える。

 このあと、荒木飛呂彦との対談の話も書こうかと思ったけど、そう言う気になれないので、別の話を。『とんねるずの生でダラダラいかせて!』の準レギュラーだった宅は、ある時ガキの「船はどうして沈まないの?」と言う疑問に「船には、浮力が発生するからだよ」と丁寧に答えていたにもかかわらず、質問者のガキはマトモに聞いてなかった。おいおい。回答者が宅八郎だったからこんな事になったのかと思うと、上記ツイートで書いた「気持ち悪いあんちゃん」としてのポーズは、宅にとってプラスだったのかと言う疑問がますます。「気持ち悪いあんちゃん」が、ドキっとするような事を言って、常識人ぶった大人をへこませるってのがやりたかったのかな? 知らんけど。

*1:よく考えると、これは豊田商事事件の中起きた、永野会長殺害と似たようなものだったのでは?

*2:余談だが、この時「オレたちはテレビで、何を見せられていたんだ?」と言う疑問が浮かび上がり、メディアに対する不信感……あるいは諦念……が強くなった。地下鉄サリン事件の年にWindows95が発売され、日本で本格的にインターネットが普及しだしたのだが、これもある意味象徴的な出来事だ。