走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「みんなが分かる事」って、なんなんだろうか?

a-katu.hatenablog.com

 上記記事の題名を「みんなが分かる事やれよ」としたが、そもそも「みんなが分かる事」って、なんだよ。そんなの「みんな」として抽出した母集団次第で変わるから、もとよりいい加減なものなんと違うか? だいたい日本人は「みんな」とか「世間様」とか言った曖昧模糊としたものを、権威として捉えすぎ。それだけならいいが「みんなが分かる事」が分からない者*1は、迫害してもいい空気さえある。恐ろしい事だ。これではいくら「多様性」を叫んでも、日本にそんなものが根付くはずはない! なんてこった。オレも自嘲的に「みんなが分かる事やれよ」と言った*2が、そんな事をしてもオレが「みんな」に加えられるかどうか、あやしいものでございます。

 「みんなが分かる事」を世代なりなんなりの「共通の体験」と言えば言えなくもないが、それでも前述のように母集団次第で変わりそうだし、繰り返すがオレは世代ならではの「共通の体験」とやらだって、あずかれているかどうか。あまりに逆境や孤立が多すぎて。おまけに、オタク仲間からすら「マニアック」と言われるくらいだ。どないせえっちうねん。下記記事で「体験の共有」が、どう言う経緯で生まれるか分からんと言ったものの、今はそれだけに頼れない時代かも知れん……。

a-katu.hatenablog.com

 前段落で「体験の共有」だけに頼れない時代だと言ったのは、今はYouTubeなどで人のコミュニティが、いろいろ細切れになったからだ。だからこそ「みんなが分かる事」って、なんだよと言う問いかけにもそれなりに意味がありそうな……。「共通の体験」や「体験の共有」をアテにせず、平明な表現に努めるとかまだまだ考える余地はありそうだが、最近そう言う理論武装をする自分が嫌になってるので、この記事はここまで。

*1:と言うか、前述の権威としての「みんな」とか「世間様」にとっての価値観に当てはまりそうにない者。

*2:元ネタは桜玉吉の『しあわせのかたち』の中において、昭和ガメラと戦った怪獣「バルゴン」を出した時のツッコミ台詞なんだが、これも自嘲と言える。