作者や演者が自分の子供の頃の思い出をネタにして読者である子供に叩きつけてくるって昔からそうよ 〉RT pic.twitter.com/ZsG9X7y5W6
— 好翁 (@yosiow) 2020年5月21日
『しあわせのかたち』が大体90年代序盤の連載。
— 好翁 (@yosiow) 2020年5月21日
作者の桜玉吉さんが1961年生まれ。読者の自分たちが大体70年代後半生まれ。
『大正テレビ寄席』(1963~1978)、『快獣ブースカ』(1966~1977)、『フランケンシュタイン対地底怪獣』(1965)、『突撃! ヒューマン!!』(1972)
冷静に考えて、自分たちは何を読まされてたんだ…
— 好翁 (@yosiow) 2020年5月21日
しかし、趣味や文化が細分化した上に体験の共有が難しくなった今の時代に、中年世代の発信者が若者相手に何をどう届けるかってのは考えなきゃならん時代なんだろうね
— 好翁 (@yosiow) 2020年5月21日
ゲームのネタが主だったころの連載はあんまり同時進行で読んでないものの(日記形式になってる頃あたりから読んでる)単行本を通じてさらに下の世代もそれを読んでるわけでナ。
— 氷厘亭氷泉 (@hyousen) 2020年5月21日
上記ツイートでふと思った事。確かに「好翁」氏の言う「中年世代の発信者が若者相手に何を届けるか」と言うのは、いつの時代もついて回る話であろう。オレだって、悩んでいるんだ。しかし、ここでは別の視点での話をしたい。こないだエディオン広島本店に行ったら、エスカレーターの近くにあったシャア・アズナブルのポップを見て、親子連れの小さな子が「ガンダムの人」と言っていたのよ。ガンダムを熱心に見る年とも思えん子が。これを見て「ガンダムと言う物語が、人口に膾炙した証左なんかな、これは」と言う気持ちに。ファーストガンダムの初放映から40年以上の時が経ち、かつての忠臣蔵や西遊記みたいな位置づけになったのかも知れない。こう言う事もあるから「体験の共有」も、どう言う経緯で生まれるか分からん。
ところで「自分の子どもの頃の思い出をネタにして読者である子どもに叩きつけて来る」と言えば、荒木飛呂彦氏の話もせねばなるまい。ジョジョ第3部のイメージとして「砂漠に立つ学ランの主人公」と言うのを『バビル2世』から持ってきたと荒木氏は語っていた*1し、ジョジョは第1部からずっとマンガ以外からのいただきは多い。もちろん荒木は子どもの頃の思い出だけでなく、いろんな勉強をしていただきを増やしているんだが……。「自分の子どもの頃の思い出をネタにして読者である子どもに叩きつけて来る」人と言えば、あさりよしとお氏もだ。彼も「マンガの中で昭和30年代のマンガなどのギャグを使ったら、読者に俺のオリジナルのものと思われた」と言っている*2し。結局は「面白いかどうか」なんだろうねえ、世代がどうこうではなく。オレもどんどんやろう。