誰だって、あの日に帰りたいと思う事はある。それが叶わないから、人は思い出にすがる時があるのかも知れない。いえね、今のオレがそうだし。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2020年7月24日
仮面ライダー電王の主題歌じゃないけど、明日のために思い出を集める時が、人には必要なのかもな。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2020年7月24日
なんでこんな話を書いたのかと言うと、思い出に耽る事は悪く言われがちだが、明日への不安に耐えるためには時として必要なのかもと思って。それはいいのだが、思い出を武器に創作しようとしても、上手くいかんかった。下記記事にも書いた問題がね。
上記記事で「自分の子どもの頃の思い出をネタにして読者である子どもに叩きつけて来る」行為は「結局は面白いかどうか」と結論付け、オレもどんどんやろうと言ったものの、サブカルビジネスセンター(以下、SBC)では上手く行ってないのだ。思い出をネタにして描いた箇所に、練り直し・描き直しを命じられた事があって。オレが上記記事でも引用したツイートにある「中年世代の発信者が若者相手に何をどう届けるか」ってのを、まるで考えていないだけかも知れないけど。創作は難しゅうおますな。いくらネタを考えても、受け手にかえりみられなければ、どうにもならんのだから。それを思うと、創作が辛い。オレはそっち方面では無力だったのかと、げんなりさえしてしまう。これはいかん、態勢を立て直さねば。そのためにSBCで学んでいたはずが、その成果を失ったような気も……。
こうまでオレが創作にこだわるのは、肉体の遺伝子は未来に遺せそうにないから、せめてミームなと残そうとあがいてるからだ。リチャード・ド-キンスの「我々が未来に遺せるものはふたつ、遺伝子とミームだ」と言う言葉があるが、それを思えば……。