走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

おとなしく絵を描いているしかねえ……

a-katu.hatenablog.com

 上記記事を書いたにもかかわらず、ツイッターにかまけて消耗している状態が続く。それじゃダメだ。オレはもう、社会問題に切り結ぶには力不足なんだから、おとなしく絵を描いているしかねえ。描けば描くほど不安になるのも事実だけどな。なんでよと言われそうだから、この際言おう。ひとりで描いていると、先が見えんのよ。オレは今まで、しょっちゅう絵に関し陰口を叩かれたり、酷い時にはオレの同人ソフトに金を出してまで罵倒して来られたりしたからな。最近はそんな事もなくなったが、絵を描いているとその時の事や、会社勤めしてた頃やそれだけでは生活出来ず日雇いバイトまで入れてた頃に受けた罵声まで脳裏をよぎって苦しかったんだ。それが積もり積もって、描けば描くほど不安に……。だからサブカルビジネスセンター(以下、SBC)で絵ののびしろがまだまだあったと言うのを実感した時、すっげえ嬉しかった。SBC以前のオレの環境が、悪すぎたのかも知れないが。職業訓練でパソコンを習ってた頃の苦労話を聞いた講師が、愕然としていたしなあ。厳密には職業訓練が終わって、タッチタイピング*1の試験のために練習をしに行ったら、見込みがないと言われあきらめざるを得なかったエピソードとかなんだけど。……書いてて悲しなって来たわ、自分の能力を活かせる職に就けず苦しんでいた時期の事を思い出して。亡き友惟任さんは生前「誰もが天職に就けるわけじゃない」と言ってたけど、オレはガテン系の仕事をせにゃならん時は今の何倍も精神消耗してたんだよ! それを彼に言っても、どうせ「自分の仕事に誇りが持てなければ、今すぐやめろ!」とか言い出すだろうが。別の事で一回言われた事もあったし。絵の話に戻ろう、同人イベントなどのオタクの寄り合いくらいでしか自分の絵を見てもらう機会がなく、それも難しくなっていた上に親父から「見切りをつけろ、見切りをつけろ」と小言を言われていた時期にネットをはじめ、そこから交流が広がり*2出して、絵をネットに挙げる事が出来るようにまでなったのだが、それがなかったらガテン系の職場でいじられ続けバカにされ続け、そのうっぷんを晴らす事も出来ないまま挙げ句の果てに自殺していたかも知れない。やっぱり絵を描く事は、オレを救っている。今も絵を描く事で自分を癒す時なのかも知れない。

 前の段落、どうにか格好のつく締めくくりが出来たけど、勤めていた頃の話になると、どうにも暗い話ばかり出ていけねえ。なんでそんな話になったんだっけ? そうそう、絵を描いている時、勤め人時代に受けた罵声が脳裏をよぎるからだった。それが描く時に足を引っ張っていたとなると、事態は深刻だ。と言うか、そんな話をしたら、辛い過去がフラッシュバックして来た。これがあるから、ひとりで描いているのが辛くて。SBCで課題をこなしたり、パソコンを学んでいる時はそんな事はなかった。講師が評価・添削するから、どの程度やったかを客観的に見られるので。それに、時折利用者*3と雑談が出来て、気の迷いに沈む事もないからな。それ以前に勤め先で殺されかかったり、その後親父に絵を描く事に文句を言われるようになったりして、萎縮していた時期が長すぎたんだが。余命の残っているうちに、なんとか世間に歯形くらいは残したいもんだ。

*1:世に言うブラインドタッチ。

*2:数年間疎遠だった惟任さんに再会したのも、ネットだ。

*3:のちに講師とも。