走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

『メンぱっちん』などに見る、小林よしのりのパターナリズム

 小林よしのりのマンガ『メンぱっちん』の第1話で、主人公が帰宅するなり父親が迎えに出るのだが、その時「おかえり、ぱかたりくーん!」と言っていた。ぱかたりとは、おそらく「バカタレ」の言い換えだろう。1話の最後で主人公が、「ぼくは、ぱかたりなんかじゃないんだー!」と号泣していたし。なんでこうなったかと言うと、父親は主人公に自分と同様メンコの名人になって欲しいのだが、主人公はむしろ勉強がしたかったのだ。今になって考えてみると、父親の言動は唾棄すべきパターナリズムだとしか。メンコのマンガだから、主人公にメンコをやってもらわなきゃ話が進まないんだけど、これは『メンぱっちん』だけにとどまらない。「父親による価値観のごり押し」は、『厳格アドバイ宗』にも肯定的に描かれているし、ゴー宣からしてそうじゃねえか。あーあー、やだねえ。パターナリズムの押し付けは。オレは「親の背中に常に正しい事が書いてあるとは限らない」と、思春期と言う代価で学んだから、こう言う事に敏感なのだ。親父も、兄貴も、『メンぱっちん』の父親同様、オレへの罵倒を息をするようにやってたものなあ……。思い出したら急に腹が立ってきて、こんな文章を書いている。

 さりとてマンガの影響「だけ」で世の中が悪くなると思ってはおらず、小林本人がマンガの枠を超えて現実にコミットしたので頭が痛いんじゃねえか。マンガの影響うんぬんは話が広がりそうなので別の機会にするけど、「読者の父親代わり」みたいな気持ちが小林にはあったんじゃなかろうか? 「わしは、弱者のためにも絶対強者になりたい!」とか、「マンガの独裁者になりたい」とか言う言葉も、言うなればパターナリズムだし。

 ではなぜ、小林はこうなったのか? おそらく幼少の頃、小児ぜんそくを治すために依頼心を捨てさせようと、親が離れに隔離したのが大きそうだ。それはないだろう? 今さらどうにもならねえけどな。