オレがかつて惟任さんに、もし表現規制が酷い事になったらどうなるかの予測を話したら、例によって叱られた上に「そんなSFを書く(描く)んならまだしも……」とまで言われた。あの時「フィクションの話をしているのではありません! 現実の話をしているのです」と、きっちり言い返せなかったのが悔やまれる。それに、フィクションでもそんな世界見たくないし。しかしながら、今となっては惟任さんの言う事も分かる。オレは未来予測が悲観的すぎるんだよ、自分でもいやになるくらい。エビデンス(確証)だって、ありゃせんし。とは言え、その未来予測は、オレが描きたいフィクションとはかけ離れているのには変わりない。いくらフィクションで深刻ぶっても、どうにもならんし。
そんなこんなで、下記のツイートには考えさせられる。
これが今の日本
— 久居O (@origin615) 2019年12月9日
という言葉が出てきたら眉に唾をつけたほうがいい
まあ、日本に限ったことではなく
「これが〇〇の現実」「〇〇の民度」
とかね
「個人の気の毒な体験から、それをデカイ主語全体の話にすり替えるパターン」に気をつけた方がいい
お札を貼っておく
バズツイの後に見てくれ pic.twitter.com/QHXomdF0X0
本文よりも、ファクトフルネスのための考え方を記した画像がね。オレの思考のあかんところの是正には、大いに参考になる。こう言われたら、オレが根拠なく悲観的になっていたのだと分かるよ。前にも書いたかも知れんが、経験則に頼りすぎたと言うか。上記ツイートに書いている「個人の気の毒な体験から、それをデカイ主語全体の話にすり替えるパターン」を、オレもやっていた気もするし。客観的な状況を考える上でも、ファクトフルネスはせんとなあ。