こんなツイートをした。
一枚目の画像のようにキャラを変更する事を礼賛した、ファミ通の罪は重い。海外でのローカライズは致し方ないとは言え、「アニメ絵」を罵倒する誌面には……。 https://t.co/ABweQjyXId
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2019年11月22日
「またそれかい!」と、お叱りを受けそうだが、オレはむかしのファミ通*1に納得はしていないんだ。が、最近そんな自分もいやに……。だから題名があんな事に。ファミ通の言葉の暴力が正しいわけではない、しかしそれに抗う方法として、オレがやって来た事も正しかったのかとか、いろいろ考えるとね。「読まない」と言う選択肢を取れば一番手っ取り早かったのかも知れないが、兄貴に「もうファミ通読みたくない」と言ったばっかりに、ややこしい事になったので。結局ファミ通から離れたのは、だいぶあとになってからだ。何度も言うが、「喧嘩過ぎての棒チギレ」である。
と、書いていたら、最近のネットにうごめく「出羽守」の事を思い出して、辛くなった。ファミ通もまた、「出羽守」だったからだ。もうやだ、死にたい! いや待て、オレが死んでも「出羽守」が改心するでもなければ、ファミ通の誌面がよくなるでもなし。生きてやろう。話を戻すけど、日本の「アニメ絵」の可愛さはアジアには親和性が高いが、欧米はそうでもないみたいだ。イギリス・カナダ・オーストラリアなどの表現規制を見れば、そう言いたくもなる。各国の背景はそれぞれややこしいんだけど、略します。日本のアニメが世界でファンを集めている現在でこれや、80年代や90年代は……。だからと言って、欧米におもねるこたあないだろファミ通。そんなに名誉白人になりたいか。と、遅くとも90年代に言えていればねえ。いろいろ遅すぎたよ、ちくしょう。
ファミ通はじめとしたゲーム誌への不信が、ゲーム業界への不信にまで発展したオレもオレだよ。ゲームそのものよりゲームキャラを描く事が楽しくなったのもあるけど、ゲーム誌の悪ふざけに嫌気がさし、ゲームを楽しむ気力がなくなったのがケチのつきはじめよ。そこらへんを共有してくれる相手も、ゲーム仲間にもおらんかったし。「ゲーム誌の悪ふざけ」を、今詳述する気にはなれん。辛い! と言うか、この記事書いていたら、最近の表現規制問題での左派やフェミニストと表現規制反対派双方の体たらくまで連想して、また死にたくなってしまって。この記事書き続ける気力も尽きた、終わりだ終わり!