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克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」か?

 宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言う言葉に長らく共感していたが、疑問もあった。それは、全体主義になりやしないかと……。実際、賢治の精神的バックボーンたる国柱会は、今や日本会議とつるんでるもんなあ。

 国柱会はさておき、オレが世の中*1がよくならなければ自分の幸せどころじゃないと言う考えに共鳴したのは、家庭が荒れてて、自分の幸せを得られなかった*2のが大きい。だから「前後即因果の誤謬」におちいり、絵を描くなど自分の好きな事をすると悪い事が起こると思ったり、家族に支配されても抵抗出来なかったり、挙げ句の果てに宗教に走ったり……。宗教から離れても、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」的な思想には引っ張られていた。最近は、「それって、全体主義じゃ……」と思うようになったが。ところで、前述の国柱会は確か日蓮宗からの分派で、日蓮宗系の団体は実際に世の中の問題を解決するために動く傾向がある。余談だが川内康範の実家も日蓮宗の寺で、無私になって世の中のためになろうと言う「川内イズム」は、それが源流かも。それらはいいんだけど、2016年の相模原での「やまゆり園事件」の犯人が「世のため人のため」と称してバカげた大規模殺傷をやらかしたあとでは、「世のため人のため」も時と場合によるなと。やまゆり園事件の犯人のそれは、おためごかしかも知れんけど。

 いや、やまゆり園事件と、その犯人の思想に共鳴する有象無象の事を考えると、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言う考えも疑うしかない。前述のように、客観的な状況が改善されなければどうにもならない事もあるが、そのために自分を不必要に犠牲にするのは全体主義に繋がるし、最悪やまゆり園事件だ。もっと行けばナチスのT4作戦だよ! こえーよ! 自分も客観的な状況もよくなる事を、考える方がいいよ! 今のオレには思い浮かばんけど!

*1:もしくは、客観的な状況。

*2:あるいは、それが長続きしなかった。