平成もそろそろ終わろうとしているが、平成のはじめ頃テレビでビートたけしが出た時、「たけしも好き勝手言ってんな」とオレが言ったら、親父が「たけしは、憎まれ口叩いてなんぼ(の芸風)じゃろうが」と言った。その時は「そんなもんかねえ」と思っていたが、いつの間にかたけしの言う事が正論みたく扱われてないか? どっちにしろ批判しているのは、佐高信だけど。
このように、憎まれ口がいつの間にか正論に仕立て上げられてしまう怖さが、世の中にはある。『カイジ』の利根川の演説や、「金は、命より重い」とかな。『カイジ』は、中国資本だかで映画化されたっちうじゃない? これは、金浦空港で暴言や暴力を振るった厚労相官僚に匹敵するくらいの国辱ですよ。繰り返すが、本来ならば利根川の言葉は「敵役の憎まれ口」だったはず。それが、なんか正論みたく扱われているのはねえ。
……木暮太一が『カイジ』をダシに本を書いたりセミナーを開いたり、講談社が『中間管理録トネガワ』と言うスピンオフをしたりしなければ、オレもこうまで食い下がったりしなかったんだが。あるいはブログで愚痴らず、「金は、命より重い」に対するアンチテーゼを打ち出すべきだったのかも知れない。それが出来ていればねえ。マー、イラスト講習を受けるようになったのも、自らの主張を打ち出すため足元を固めようと思ったからなんだけど、まだ道は遠い。相模原の「やまゆり園事件」のあとでは、何を言っても手遅れかも知れんけど。
ついでに、あとのケンカを先にしとくけど、仮に『カイジ』を規制しても、世の中の風潮がよくなるわけじゃないし、そんな事言ってない。相模原の「やまゆり園事件」の犯人や、古市憲寿や落合陽一みたいな奴らの主張に大きくバツをつけるのが先だ。現実の風潮などをよくすれば、利根川の主張なんぞも一笑に付されてしまうだろうし。
と、書いていたら、これや……。
少し前から平然と国家のために役に立たなかったり、迷惑かけたり、税金払えなかったり、生活保護受けている人には勝手な思想を押し付けて「死刑宣告」する輩が増えている。何かのために犠牲になるヤツ、対象がいても仕方がないと本気で思っている人がかなりの数いるようで危機感を強めている。 https://t.co/YOufZGHQCy
— 藤田孝典 (@fujitatakanori) 2019年3月19日
「障害者は人間じゃない」「あいつらを生かすために我々は搾取されている」
— コ口吉 (@0icco) 2019年3月22日
こういう被害者的な心情混じりのヘイトは、今後ますます増えると考えているが、まさか2万以上favられるとは…
【悲報】障害者を殺傷した植松さん、完全に正論モンスターになってしまう https://t.co/h5ID9IlsJY pic.twitter.com/zWJEibIrJP
こんなヘイトクライム大量殺人犯を「狂人でも何でもない」「正論」と考える人がこれ程に増えているの、相当恐ろしい。連れ合いはツイッター見なくなって正解だったと思う。
— コ口吉 (@0icco) 2019年3月22日
こんな体たらくだから、オレは枕を高くして眠れないし、たかがマンガのキャラの憎まれ口をぐずぐず言う破目に。いや、警戒すべきは冒頭に挙げたたけしの方かも知れない。しかしたけしは思想的にはロクでもないかも知れないが、どこか憎みきれないところがあるんだよな。それはまずいのかも知れないと思いつつ、オレは『いだてん』見てるんだよ!
上記ツイートの「被害者的な心情混じりのヘイト」については言いたい事があるが、話が余計に広がるので次の機会に。