ツイッターで、こんなツイートをした事がある。
はたして、政治的知識を切り捨てて、主観的な幸福感を得てもホントに幸せなんでしょうか? 誰も政治とは、無関係ではいられないのに。 https://t.co/M40e0v03Qj
— 克森淳@喘息治療中 (@a_katu) 2019年2月1日
これは、Facebookを4週間やらない事で人はどう変化するかと言う実験で得られた結果の、「政治的な知識は減るが、政治的な意見は極端にならなくなった」と、「主観的な幸福感が増した」と言う点を受けて書いたものだ。どうもオレは、主観的な幸福感を得られても、客観的な状況に後ろからバッサリやられたら、どうにもならないではないかと言う気持ちが強くて。今まで、何度も何度も何度も何度も、そう言った事があったもんで。とは言え、まだ生きてるやないのとツッコミを入れられたらそれまでだが。しかしねー、客観的な状況の好転なくしてホントにオレの主観的な幸せはあるのかと、宮沢賢治*1みたいなことを言いたくなる状況ではある。政治も、国際情勢も、地球環境も。インターネットが人を幸せにするかと思ったら、そうでもなかったし。確かに、20年くらい前に比べりゃ、いろいろ世界は開けたけどさあ……。
しかし今のオレには、客観的な状況に切り結ぶ力がない! 持病が酷くて、判断力が落ちまくりだし。判断力うんぬんを言えば、これまで書いたこの記事とて疑わしくなるが。ダメじゃん! ……と、書いたら、最初に引用したツイート以上のことを何も言ってない気が。実際、ツイートの補完みたいなブログ記事なんだが。それはさておき、あなたは、主観的な幸福感を選びますか? 客観的な状況の改善を選びますか?