走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

言いにくくされる事で、現実的な対応が遅れる

 ネットで「死にたい」と言いづらくなって来たので、「生きるのが辛い」と言い換えるしかない。……と、書いて思ったのだが、こう言う言い換えから、問題への現実的な対応が遅れるのではないかと。特に日本人は、そう言う「言い換えによる問題のすり替え」が得意だからな。そもそもなんで「死にたい」と言いづらくなったと感じたのかと言うと、ツイッターの規則が自殺・自傷に厳しくなると聞いて。ツイッターの運営が、死にたいと思うくらい思い詰めている者を救うわけでもないのに。

 ツイッターだけの問題ではない、前述のように「言い換えによる問題のすり替え」が横行している日本では、「死にたい」が言えなくなったら次は何が言えなくなるか分からんぞ。「生活が苦しい」と言えなくなるかも知れん、くわばらくわばら。つるかめつるかめ。

 表面上「死にたい」と言えなくするより、そこまで思い詰めている者に対する現実的な救済を充実させた方がいいではないか。なぜそうしない? マー、予算とか出したくないんだろうな。どいつもこいつも。しつこいかも知れないが、むかしのオレの家族も、オレが悩んだり苦しんだりを発言しにくい空気を作っていた。そのため余計に悩み、苦しむ破目になっちまった……。もう、そんな事やめにしようや。ご同輩。誰だよご同輩って。