ピエール瀧が逮捕され、彼の出演作の多くや電気グルーヴの楽曲の配信・放送が中止*1され、CDまで回収されている。オレはこのような、「封印」には反対である。第一に作品に罪はない*2、第二に上岡龍太郎の受け売りだが「君たち、芸人をなんやと思うとるんや?」と言いたい、第三にキリがないではないか! これらはオレの中で繋がっている部分もあるけど、無理矢理に理由を細分化したらこうなる。が、「キリがない」と言うのは意外と届かないかも知れない。以前から言っている「自分の好みの価値観を、世の中の中央に据えようとする殲滅戦」の勝者になれると思っている者が、勝手に基準を線引きしかねないしな。
こう言う「封印」は、1999年の槇原敬之の逮捕以降顕著になったらしい。それ以前から、事件を起こした芸能人の関わった作品を厄介払いする傾向はあったみたいだが……。と、言ったところで、いきなりツイート三連発。
ピエール瀧さんの件に限ったことじゃないけど、かかわったコンテンツを自粛するって変な話ですよね。それが「社会的制裁」だって言う意見もあるかと思いますが実際は「会社的制裁」じゃねーの?
— 永山薫@Kindle版発売中・マンガ論争編集長 (@Kaworu911) 2019年3月15日
「関係者に迷惑がかかることも罰の内」って意見がTLに流れてきて、おー江戸時代の五人組制度とか中国の「罪九族に及ぶ」とかもオーライですかーw なんて思っちゃいましたよw そういう過去の制度が潰れも、感覚としては生き残っているわけですね。
— 永山薫@Kindle版発売中・マンガ論争編集長 (@Kaworu911) 2019年3月15日
まあ、犯罪者の親兄弟が謝罪させられる先進国ですからねw
— 永山薫@Kindle版発売中・マンガ論争編集長 (@Kaworu911) 2019年3月15日
このツイートを見ていて、永山先生が言う事は民法の連帯保証人制度とも繋がっているような気がしたが、そこまで話を広げるつもりはない。それはさておき、世の中が「健全さ」を求めるあまり、題名にも書いた「明るく楽しい、マヌケなディストピア」と化しているのではないかと。なんかこう、表面的な「健全さ」が揺らぐとされたものを排除して回っている*3ような。そうしても実際には問題は、何ひとつ解決しないのに……。だからマヌケだと。これは「封印」の問題だけではなく、いろんなSNSの運営による巧妙な言論統制*4とか、そこかしこの動きも含めての結論である。こんなことを続けていて、オレたちは幸せになれるんだろうか? 少なくともオレは幸せになれない、「明るく楽しい、マヌケなディストピア」でなくても、世の中からつまはじきにされてばかりいたのに、「明るく楽しい、マヌケなディストピア」だと居場所なんかあるんか?