走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

ちょっとどころじゃなく、悲しくなって来た……

 オレが長年、絵やマンガの方面でパッとしなかったのは、オレの生まれた環境があまりに文化・芸術とかけ離れたのも大きかった気がした。それで題名に書いたように、ちょっとどころじゃなく悲しくなって来たのだ。うちはマンガをまるで読まない家庭ではなかったが、家族は作者へのリスペクトがあったかはうすら寒かったし、何より絵やマンガを描くみたいな「時間や手間をかけて結果を出す」行為を毛嫌いしていたしなあ……。そこに活路を見出そうとしたオレもオレだが、家族や近所のDQNと同じ生き方はしたくなかったんでしょうなあ……。

 なんでこんな話をするのかと言うと、マンガ家になるにも生まれた家庭の文化資産が要るのではと言う、恐ろしい事を思ったからじゃ。いや、薄々感じてはいた事だが……。だからと言って過去にあきらめていたら、周囲のDQNに酷い目に遭わされ続けるだけの、悲惨な生き方しかなかったわけで……。しかし、絵やマンガで這い上がるチャンスすらなかったのか、日本には! くおお……。仮にマンガ家になれてたとしても、長続きしたかどうかは分からんが。こう言う話もある事だし。

 それでも目指したのは、繰り言になるけど「這い上がりたかった」んだろう。だが、オレは商業マンガ家にはなれなかった。悔しいなあ……。今、なんとか絵やマンガを描くチャンスはあるけど、それがこの先いろんな意味でどうなるかは分からんのだ。なので、不安にはなる。その不安が、過去への後悔や愚痴になるんじゃ……。当然、過去の自分の行動が足りなかったのもあるし、精神を病んだのも大きいが、なんて荒んだ環境やったんやろ、オレの周囲って……。

 底辺に生まれた者は底辺で死ねと言う、世間の見えざる圧力が気に入らんからマンガ家目指したけど、結局その圧力は跳ね返せそうにないのか……。そもそもオレに人間関係も何もなかったばっかりに、何の誰兵衛であろうと作品があればマンガ家として食えるだろうと思ったからなあ。結局、失敗したけど。これ以上書くと、世間に歓迎されない事を口走りそうだから、この記事ここまで。