しんどいので、土日はまたブログ休むわ。とにかく頭が働かないのと、むきがどねどね不安感……。不安が強くてロクな事考えられない、こんな時にブログ書いても、ねえ。今日はまだブログを書くかも知れないが、ロクな話になりそうにないだろうな。
話は変わって、『翔んで埼玉』ですよ。『ラジプリズム』の名物コーナー、「語ってみた」で昨日取り扱っていたんだけど、それを受けてオレはこんなツイートを。
マンガ家のみなもと太郎氏が、「昔は障害者への蔑称がマンガで飛び交っていたが、そこに悪意はなかった。今のマンガには『埼玉、千葉、名古屋』と言う言葉が飛び交い、そこには悪意がある」と言った事が。『翔んで埼玉』に前後しての頃の話である。 #rccrp
— 克森淳@喘息治療中 (@a_katu) 2019年2月21日
しかし放送中にこのツイートが、拾われる事はなかった! 嗚呼。「語ってみた」では『翔んで埼玉』人気を、「(愛ある)地方dis」ブームに乗ったと分析していたが、愛のない地方disなら80年代に既に流行っていたと、もっと食い下がって言えばよかった。ラジプリズムの部長(パーソナリティ)も、学生時代に埼玉に住んでいたため、『翔んで埼玉』の埼玉ネタに共感していたみたいだったが。オレは80年代の地方disや田舎disが笑えなかった、だってオレも田舎者や。下のツイートに書いた歴史の問題を知ってから、なおさら笑えなくなった。
東京は江戸の頃から、地方出身者の集まる都市だけど。 #rccrp
— 克森淳@喘息治療中 (@a_katu) 2019年2月21日
これも昨日のラジプリズム放送中無視された、トホホ。オレには『翔んで埼玉』は、在京マスコミの陥りがちな、東京とその周辺の空気だけで物事を考える悪い癖の延長線上にある気がして。え? 「理屈を言うな」だって? オレの中の『翔んで埼玉』への違和感を言語化したら、こうなったんじゃい! マー、土日ブログを休む話から、『翔んで埼玉』ネタを書く話の飛躍はどうなのよと言うなら、それは請け合うが。