走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

芸能人・芸術家の逸脱の仕方

・ジャズファン目線からの日野事件

 日野皓正については、「確かむかし円谷プロの社長が円谷皐だったころ、チャリティソングの作曲をした人」だった(wikipediaを調べたら、出て来た)くらいしか記憶になかった。しかも調べるまでは円谷皐が歌出した時に作曲したと勘違いしていた。赤面赤面。

 それはともかく、パオロ・マッツァリーノさんが「芸術家という職業はカタギではないんです。そもそも芸術家は才能のみを評価されるべきで、人柄の良さや人格の高潔さを求めることが、まちがってるんです。どちらかというと、社会にまともに適応できない人に用意された生きる道が芸術や芸能です」と言っているが、今回の件では芸能人や芸術家の逸脱の仕方が、体制と言うか常識寄りな気がするのが気になった。悪ガキをしばいた教育者みたく、日野が扱われているのがねー。オレはパオロさんほど芸術家の逸脱に寛容ではないので余計に気になるのもあろうが。江戸時代の絵師に、性格はカタブツだがすっげえエロエロな春画を沢山描いたのもいるのでね。

 体制寄りの逸脱と言えば、この記事で触れた「ツイッターで政治的におかしな事言い出した」マンガ家も、体制寄りな逸脱をしていた。須賀原洋行のことなんだけどね。だからなんだと言われそうだが、日野も須賀原も、体制寄りな逸脱なのではないかと(繰り返すが)思ったから並列に並べたのよ。逸脱の方向性が、体制に従順な範囲で行われているのだったら、パオロさんの言うほど今時の芸能人・芸術家はカタギじゃないと言いがたいのでは。これを世の中が常識的になっていると見るべきか、芸術家も牙を抜かれちまったと見るべきか。さて。

 それにしても、社会からつま弾きにされて、マンガの世界で一旗揚げようとやってみたがダメだったオレは、何者と言う事になるんだ。