走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

先人と被るのが怖い……

 絵やマンガを描いていると、どうにも先人のやった事と被る事はある。オレは最近、それが怖い。独創性なんて、誰も彼もが持ち合わせているものでもない気はするが、それでもだ。そのせいで、ネタ選びがマニアックと言うかマイナー狙いになっちまって。パオロ・マッツァリーノさんが、かつて『キルラキル』を評して「ベタとオリジナリティは両立する」と言った事もあったってのによお……。なんでこんな話をするのかと言うと、サブカルビジネスセンター(以下、SBC)でいろいろやったが、それらもオレの中のオリジナリティ幻想によってパッとしないように見えた事があったので。そう思うのはSBCのスタッフに失礼な話だが、一番自分らしい*1表現物が『精神障がいエッセイマンガ』シリーズなところを考えると、ねえ。なぜ「一番自分らしい」と思ったのかと言うと、SBCの講師から「これは私には描けないものです」と言われたからだ。マンガを教える方がこう言うのは、相当大きいよ。だからこないだ82回目を発表出来たのだが。一昨年まで、描けない描けないと苦しんでいたオレがですよ。マー、SBCで学んでいた事により「絵やマンガはこう描かねば」と言うこだわりみたいなものがなくなって、この結果を生んだのだけど。逆に『ある日の乗鞍家』は、先に書いた「ネタ選びがマニアックと言うかマイナー狙いになっちまった」事で、パッとしないのではと言う恐れが。要するに、ひねる向きを間違えたのではと……。最初に述べたように、先人と被る事を恐れすぎたばっかりに。

 段落を変えて話を整理しよう。凝って描いたつもりの作品がパッとしないように思えるのに、わりとひねりなしに精神障がいを負った事の苦労を描いた『精神障がいエッセイマンガ』が一番評価が頭抜けているので、もしかしてオレは創作において、先人との被りを恐れすぎていたんではないかと気づいたんだ。なのでこんな記事を。『精神障がいエッセイマンガ』だって、精神障がいを負ったものが人生を告白するマンガなんて珍しくもないと思いつつも、SBCみたいな場で描かんとどうするみたいな気持ちが先に立ち描いたら受けた。先人との被りなんて恐れてる場合か。恥のついでに言ってしまえば、このブログで何度かオリジナリティ幻想を疑問視する記事を書いたのも、オリジナリティ幻想に縛られてる自分との戦いだったのだろうな。一方で学習のための模倣を肯定しながら、これでは……。

*1:こう言うと語弊はあるが「自分が表現したい」と言うのではなく。