表現規制問題に関して言えば、実際に表現規制に反対している人より、レイ・ブラッドベリだの光原伸だの有川浩だの唐沢なをきだの筒井哲也だのと言った、「表現規制が行きつくところまで行ったディストピア」を描いた話の作者が戦ったかのように扱われてるのは何故だ。そんな話、現実にはほとんど力はない。せいぜい作者や版元のフトコロを潤すだけだ。
タイトルにも書いたように、手柄が欲しいわけじゃない。表現規制反対派の多数は、テレビアニメ版『サスケ』のオープニングナレーションで語られる忍者のように、人知れず影で活躍するものだからな。赤松健氏や山田太郎前参院議員のような人は、稀有なのだ。話を戻して、「表現規制が行きつくところまで行ったディストピア」を描く者が、あまり注目を浴びすぎてもいかんような。だって世間のそう言う話の読者の大多数は「キャーこわーい」だけで、そこから先に進まないものな。表現規制問題に限らず、現実に動く者は物語だけでは動かんのだ。当人の中に、別になんらかの動機付けがあったはず。少なくともオレはそうだった。それを、なんじゃい! どいつもこいつも! マー、人知れず影で活躍している多数の表現規制反対派より、あんな話を描く者の方が目立つのもそれなりの理由はあるがヤハリ。
オレのこの意見は、まだ自分でも隙があるような気がするので、どんどんツッコミ入れてくれ。そうしてもらわないと、客観的な判断が出来ない。