ブログ復帰する。矢口高雄さんが亡くなられたので、少し思う事を。まず、このツイートを見てくれ。
矢口高雄さんが亡くなられた。オレは彼の『ボクの手塚治虫』と言う作品で、手塚治虫以後のマンガと、戦前の「漫画」は違うからカタカナのマンガ表記を選ぶとおっしゃったのを見て以来、マンガの表記はカタカナにしていた。合掌。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2020年11月25日
これはオレの個人的なこだわりだが、こだわらんといかん気がしてなあ。あと、矢口さんは、初連載の『おとこ道』が在日韓国人差別だと突き上げを食らった事が。原作者の梶原一騎がどうにかして沙汰やみになったらしいが、ここで矢口さんが筆を折ってしまっていたら、のちの『釣りキチ三平』をはじめとする自然と人間とのシビアな関わりを描いた傑作はなかったんだよな……。ウーム、である。と、書いていて思い出したが、かつてオレが表現規制反対活動に身を投じた最初の頃、とある表現規制反対派のひとりが自分のサイトで『おとこ道』の差別的な描写に喝采送ってやがった! 内ゲバしている暇も惜しい時だったから黙っていたが、内心では「表現規制反対活動が終わった*1ら、こんな連中と全面戦争になるのかも知れないなあ……」とげんなりしていた。沙汰やみになった事をそうやって蒸し返すのは、矢口さんに対して失礼だろうに。あるいはそのサイト自体、何者かが分断を図って作った釣り……だかどうかは今となっては分からん。オレの希望的観測も入ってるし。追悼の文で思い出すんじゃなかったかな……。
いかん、いらん事を書いたばっかりに、矢口さんに対し申し訳がない気に。話を戻そう、人間どう言う契機でどう言う作品を描くか分からんのだから、迂闊に表現者を攻撃は出来んような気が、矢口さんの訃報でその思いを新たにした。合掌……。
*1:実際は環境問題同様、終わりはなかったのだが……。