走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

時間が薬か

 「時間が薬になる」と言うが、それはある程度正しい。ブログで、さんざんばら嘆いた我が悲惨な過去にしても、時間が薬になっている事もあるからな。嘆いていた事については、ある意味欲が過ぎたのでしょうなあ……と思うようにもなったし。

 それはいいとして、悲惨な過去は客観的に見ても辛い。カルトの勧誘以外、マトモに話しかけてくれる者がいなかった時期は、流石に悲しすぎて。家族からも愛されず、気の合う友人もいなかったから、あんな目に遭ったわけで。絵を描いたりプラモ作ったりゲームしたりで、自分の心の傷を癒さんと……。しかし最近は、親父が生前オレに浴びせていた罵声がよく脳裏をよぎり、苦しい。悔しいなあ……。

 おまけに、オレは自分自身の味方をするのが、非常にとってもすごく下手だし。好きな事を正当化出来てないんだものな、そりゃー辛いわ。もう少し自己愛を強くしたいものだが、どないしたらええねん。これじゃ時間が薬になる前に、自己嫌悪で潰れちまう。

 かつては可憐で繊細で、あらゐけいいち描くところの大工健三郎に似たルックスだったオレが、歳月にまみれホーマー・シンプソンそっくりになったのも悲しい。今もいらんところ繊細だから、すっかり異論や異見に弱くなったし……。ダメじゃん! もう若き日のオレには、いろんな意味で戻れないから、今から幸せになるしかないんだけど、かつて思い描いていた幸せの多くはあきらめざるを得ない。恋愛とか、幸せな結婚とか、メジャーなマンガ家になるとか。それでも絵やマンガは描き続けているが、描いてるうちはいいけど描く事から離れた時、すっげえ悲しみが襲って来る事があるんじゃ。オレの絵を見てくれたりマンガ読んでくれたりする者が、増えないどころか減っているんじゃないかとか、描いてるものをバカにされるんじゃないかとか、不安になるあまり……。岸辺露伴の「次は読んでもらえなくなるんじゃないか」と言う不安は、マンガ描いてる者の共通の悩みなんだ。マー、オレ自身と言う読者がいれば、描き続けられるかもだけど。

 確かにオレが言っている事は欲であるが、絵やマンガを描くのに小さな幸せを見いだした身としては、それをなるたけ長く続けたいんじゃ。世の中がグダグダになれば、そうも言ってられないけどにゃー。にゃーじゃねえか。一方で、小さな幸せを得ると大きな不幸が来るのではと怯えるのもまた「前後即因果の誤謬」なのではないかと言う気持がしている。小さな幸せのあと大きな不幸が来るなんて、そんなのSF作家のショートショートの読みすぎに過ぎんと一笑に付すくらいの図々しさが、オレにあればねえ。ここまで書く事が出来たのも、時間が薬になった故と言える気がしてきた。「前後即因果の誤謬」を抜きにして考えたら、今度はオレ自身が常に逆境にあると言う話になって、別の意味で気が重いけど……。くおお。